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無駄という必要

一見無駄と思うような時間の積み重ねが
自分をつくる
         ピカソ

ムダはなくすべきものと認識されがちですよね。
一般的にはそれが正しいと思います。
でも、究極的にはムダも必要なんだろうとも思います。
ムダな時間を過ごしてしまったとしても、そこからしか学べないものはありますし、その時間があったからライジングする機会を得たりするものだからです。
仕事を考えても、勤務時間のスタートからフィニッシュまで一刻もムダにせずに没入しても、副作用や何かの歪みが起きそうです。
忙しい方は「分単位のスケジュール」なーんて表現をされる日常を過ごされているのかもしれませんが、それは個を破壊する日常の気がします。
必要なことばかりに時間をつかっていては、遊びのない人になってしまいそうだからです。
ムダな時間を、どう使うかが人に個性を持たせるのかもしれませんね。
時間だけではなく、お金とか、趣味とか、人間関係とかもそうかもしれませんね。
必要不可欠ではない何かの存在が、自分を自分として、外側から、内側から維持してくれる、心地よい圧力のように感じます。

今日は来客や、打ち合わせの予定があり、まとめないといけない資料もいくつか。
あ、電話しないといけない相手も。
分刻みとは言いませんが、やることが多そうです。
ホッと一息つく時間もつくり、自分自身の存在を自分で認めてあげます。

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