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少しでもいい方に行けるように、と

人間なんてのは、自分の足で歩いているようで、実は誰かに歩かされてる。
神様とかそんなもんじゃない、人の考えなんぞ及びもつかんなにかだ。
人にできることっていやあ、その瞬間瞬間に最善の道を選び取って、
そっちの方向にちょっとだけ足を向けるってぐらいだ。
都合のいいところで留まることはできない。
流れに逆らって引き返すこともできない。
(中略)
少しでもいい方に行けるようにって足をばたつかせているんだ。
後悔なんてしている暇はないんだよ。

福井晴敏著作「終戦のローレライ」を読み進めています。
映画化もされた作品ですが、著者の特徴でもある登場人物たちの、細部までのサブストーリーを知ることができるのは、小説ならではです。
抜粋したのは、ある若い主要登場人物に対し、父親くらい年の離れた端役の登場人物がかける言葉です。
僕は40代も後半の年齢なので、声をかける側の方に感情移入しがちです。
その、諭す言葉の端々にも。
作品の舞台が第二次世界大戦の最中なので、人の死が近い環境という状況は今とは異なる特殊性です。
ただ、現代を生きる僕らも、知らず知らずのうちに、近い状況の中に居るようにも感じるのです。
どんなにジタバタしても、否応なしに降り注いでくる世界の変化、テクノロジー、感染症、国際情勢、環境破壊…。
そんな中で、自分なりに、少しでもいい方に行けるようにって足をばたつかせているように感じます。
水族館や波打ち際でクラゲを見ると、ただ波に流されるだけに見える彼らをかわいそうに感じることがあります。
でも実際は、僕ら市井の人間が、より良くなりたいと考え、あがいたり、努力したりしているのも、クラゲたちとはそう変わらないのかもしれません。
でも、それでも!と生きている僕らとクラゲたちは、似た者同士なのかもしれません。
読み手の解釈が自分の心のなかで大きく飛躍するのも小説を読む行為ならではですね。

クライマックスへと向かう物語の中へ、またしばし没入していきます。
総員配置につけ!
急速潜航!
一気にもぐれ!!

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