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芸人世界での男女平等とは?という結構真面目な話

これは2023.6.11日曜日の出来事。能町さんと久保さんのトークショーの感想を書く。あんま口外しないでって言ってた内容は一応詳細は省くよう努める。難しい。省けなかったところは、私が誠心誠意、補足したつもり。まぁ私のnoteなんて誰も読まないだろうけど。

能町さんと久保さんが、ある番組にゲスト出演した時に、芸人の世界は、まだ女性が少なくて、男女平等だと思うか?という話題になった。能町さんも久保さんも、お笑いの世界の人ではないし、あまり口出すのも違うとは認識されつつも、実際はどう思われるんですか?と現役の女性芸人さんに意見を求めたときのこと。
「芸人は、おもしろかったら結果がついてくるだけだから、女だからって不当な扱いされたことない。」と言ってらしたよう。
能町さんと久保さんは、その返答を聞いて、アメリカの弁護士さんのものすごく素敵な事例を挙げて、真の男女平等とは何かというのを女性芸人さんたちにその場で話した。けど、アメリカの弁護士さんの名前もうろ覚えだったし、あまり上手に話せなくてオンエアではカットされたのを今回のトークショーで補足して、私たちに説明してくれた。
真の男女平等とは、「男性と女性の比率がちょうど半々になるのではなくて、今の男性に与えられている役割が全部女性にひっくり返っても変だと思わない社会のこと」とアメリカのどこぞやの弁護士さんは言われたそう。
もちろん女性芸人である彼女たちの頑張りやおもしろさを否定するわけでも全然なくて、単純に社会構造の中での男女平等については、アメリカの弁護士さんのお言葉はごもっともだと思った。芸人の世界で、特にテレビの中では”女芸人大集合”というコーナーはあるけど、”男芸人大集合”というコーナーは見ないわけで、なんならバラエティ番組のトークショーでも女性芸人が出てる枠って、たぶんひとつか、あってもふたつくらい。男性芸人さんが圧倒的に数で勝ってるのは確かで、そういう面で芸人の世界はやはり遅れを取ってるんじゃなかろうかと心配になったから、それをうまく伝えられなくて悔しかったというお話を能町さん、久保さんはされていた。私たちの力不足です。と。

私もその番組を観ていたのだけど、女性芸人さんの、その言葉を聞いた瞬間あちゃあって思ったのを覚えてる。その、あちゃあをうまく言葉で説明できるから分からないけど、頑張って書いてみる。
その女性芸人さんが全くもって悪い訳でも何でもなく、純粋な気持ちを吐露しただけなのだろう。私は本当にその女性芸人さんたちを尊敬している。彼女たちのセンス、きらめきが適切に評価されたのは紛れもない彼女たちの血と骨となった努力に他ならないことも私は認識しているつもり。ただ、今、世間で結果を残しているあなた方が男性側の意見にヨイショしちゃう形になるのは、男女平等という観点では、危ういことなんじゃないかと私は同時に感じるのだ。
前にゴットタンでその女性芸人の方は、女であり芸人である自身が受けた今までの体験や、気持ちをモロハさんの替え歌で、めちゃくちゃかっこよく歌ってなかったっけ?と、思い出した。
「女のハゲヅラはみてらんない。」
「なんで女のお前が男役するんだ?」
「コントで女子高生の制服着るの萌えるわ」
とかクソみたいなことを他の芸人さんや、放送作家さんなどに言われて、彼女は、
「うるせえ、私はお前らよりおもしろい、だから黙って見てろ」
で締めくくっていた歌に、私は心底感動したんだ。女とか、そんなの関係なく、この私、私、私が!おもしろいと思うことを表現するのに、お前たちみたいなノンフェミニストが口出しすんじゃねえという意図だと私は感じたのだけど、ニュアンスは少し違ったみたい。
おそらくこの芸人さんは、名誉男性としての女=女芸人としての自分は腹括ってんだよ。だから、お前たちにとやかく言われても何とも思わない、という意図だったのかなと今回の発言を聞いた後で想像した。
女性芸人たるもの、名誉男性になりきること、性やセックスの話も奔放にするし、なんなら裸にもなる。プロレスや男性誌の漫画、ゲームの話もできる。そんな呪縛から逃れられなければ、芸人世界に真の男女平等は訪れないだろうと私は思ってる。名誉男性になることのできる女性は、ほんの一握りで、現実問題、結婚や出産•育児で断念する人もいるだろうし、潜在的にも意識的にも、名誉男性になることを拒否する人はいるだろう。名誉男性になりきれた女性は、名誉男性になれなかった(もしくはならなかった)同性に対しても、
「あなたが努力しなかったからだ、私は女性でも評価されるまで努力したのだから」
という眼差しがどうしても付いてくる。
冒頭の女性芸人さんの
「芸人は、おもしろかったら結果がついてくるだけだから、女だからって不当な扱いされたことない。」という発言と同義語に感じる。
ただ、芸人世界の特に昭和後期、平成から令和にかけての価値観の基礎は、あまりにも男性たちのみで築き上げてしまったから、そこを変えていくのは至難の業だとも思う。私自身も世代ドンピシャだし、なんなら深夜ラジオやお笑いの番組を、聴いて、観て育ってるような私は、丸々その価値観でいるのだけど、今は少しずつ変わっていってほしいと願ってる。
テレビを観ていて、最近はコンプラだなんだと気にしてるみたいだけど、表面的なコンプラしか分からないような”テレビマン”が作る番組にはフェミニズムを無視したような発言やパワハラ、セクハラがまだ残ってる。それを茶化すようなお笑いがあったとして、これをおもしろいと思ってしまう私は、「おもしろい、と思わされてるだけなのでは?」いう目線が、最近私にもついてきた。その場はやはり瞬時に笑ってしまうのだけど、その後、思考が巡るようになった。

たぶん、だけど、天才ピアニストさんがそのあたりのもやもやを突破してくれるんじゃなかろうかと思い、勝手に私は大好きでいる。本人たちが自覚的であるのか、分からないけれど、女性がありのままで、おもしろいことをして、実際、性別関係なくちゃんとおもしろいと思うものを表現していると感じる。
女性しかわからない話題、例えば婚活、OL、非モテとかそういうのをネタの設定に入れていないのも、わざとなのか分からないけど、私は好感が持てた。夫も天才ピアニストさんのコントや漫才が大好きで、2人でみては笑っている。東京に進出せずに大阪に残ってくれたのもすごく嬉しかった。上田と女が吠える夜みたいな、あんな狡猾で頭の回転が早い大人の女がたくさんでて、しかも10代とかから「東京のバラエティ番組」というフィールドの第一線で活躍していたような人たちと横並びにされて、天才ピアニストのおふたりが、実直に、毎月お笑いライブを開催しながら培ってきたお笑いの力を、「関西の若手女芸人ね、東京で緊張してるね、何をそんなに緊張することがあるの〜?それ、漫才のネタ?平場でやられてもやっぱり、なんかつまらないね」みたいに、雑に、消費されたくなかったから。
あと、ハイツ友の会さんも良きかと思う。「スヌーピーのアンチ初めて見たと」いうフレーズがおもしろすぎたと夫から教えてもらってから、ずっと私の頭の片隅に、スヌーピーのアンチ初めてみた、がおるよ。

お笑いの世界に限らず、どの社会でも男女平等には程遠いのだろうし、ドラスティックに変わることなんて、まぁ難しいとは思う。
ちなみに、治験の業界(私の仕事場)は、たぶんスーパー男女平等ですよ。私は治験の会社に入ってから、女だとか、そういうの意識したことがなかった。管理職も女性の方が多いくらいだし、お子さんがいらっしゃる方でも普通に働いてる。もちろん、みなさん名誉男性になることなく、女性は女性のありのままで働き続けてる。飲み会とか、カラオケに行くとか、後輩は上司のお酒をつぐ、みたいなしきたりも外資だから元から全くない。私は男女なんて全く関係なく、それぞれの個が尊重されていると感じる。だから、余計にいまだに色濃く男性社会が残ってる現状をみると、私の中のおせっかい虫がわいてきて、なぜ?なぜ?を深く考えたりしてまうんですわ。あしからず。
それにしても、能町さんと久保さんのお話はとても興味深かった。あの番組の、女性のディレクターさん、どうかもう一度能町さんと久保さんの話を聞いてみておくれ。

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