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無題①

幼少の頃から、自分の居場所なんてどこにもないと思っていた。

どこにいても、誰と話をしていても、ずっと独りだった。

幼稚園で初めてできた友達は、自分よりも身体が大きくて、力が強くて、少しわがままな女の子だった。子供らしいといえば子供らしい子だった。
私はもともと「自分の気持ちを伝えるのが難しい」と思っていたから、「いやだ」「やりたくない」が言えなかった。

断ってしまったら、ますます人が離れてしまう…そう思っていた。

小学校にあがると、真っ先にいじめの対象になった。理由は簡単だ。何をされても反抗しないのをいいことに、私は4年間ずっといじめられていた。
上靴に画鋲、菌扱い、障害児と言われ、トイレの便器に上靴を突っ込まれた。

みんなみんな、大っ嫌いだった。

それでも反抗しなかったのは、それ以上の仕打ちを受けるのが怖かったから。
だけど流石に自分一人では解決できなくて、大人に相談した。

先生はなるべく力になってくれようとはしたけど効果はぬるくて、両親には「気にするな」と言われただけだった。

大人には、子供の苦しみなんかどうだっていいんだ。誰も味方になってくれない。
もはやいじめられる自分が悪いんじゃないか?と思うようになった。
すぐにめそめそ泣くし、弱々しい見た目してるし。私が悪いんだ。

11歳、私は泣くという感情表現を棄てた。

それからはなるべく嫌われないように徹底し、常に人の表情を伺うようになった。
どんな場面でも、基本感情を出すのは50%くらいにとどめて、空気になった。


小学校を卒業して、今年で10年になる。
大人になれば、きっとどこかに私の居場所はあるんだと信じてここまで頑張ってきた。でも、未だに見つかっていない。むしろどんどん独りになっていく気がする。

そんな私の元に一通の手紙が届いた。差出人は12歳の私だった。
怖々しながら開くと、そこには自分の未来に期待で胸を膨らませる、純粋だった頃の私がいた。罪悪感でいっぱいだった。でも涙すら出てこなかった。

自分のやりたいことを堂々とやって、人から認められて、素敵な恋をして…
思い描いていた大人になれてなくてごめんね、12歳の私。

やりたいこともない。
人を心から信じられなくて、誰とも上手くやっているように思えない。
こんな私を見初めてくれる素敵な人なんかいない。

ごめんね、ごめんね…

だけどね、大人になってみて分かったことがあるんだ。

自分を守れるのは、自分一人しかいないんだ。
周りの人も自分の人生のことで手一杯で、余裕のある人なんかいないんだよ。
だから、居場所を外に探しにいくのではなくて「自分が居場所になる」ことを決めたんだ…


22歳、他人のために生きるのを辞めた。

自分のために生きてやると決めた。

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