いつも通り言葉まみれ



●まるで許されることのないような駄文

「あしざわくん、いい体してるね〜。筋膜リリースって知ってる?君は多分理論みたいなものも好きだと思ってぇ。筋膜リリースはいいよお。」

「それはあの子のエフィカシーが低いからだ。エフィカシーが低いとセルフトークもコントロールできないのさ。」

「マインドフルネスとヨガとファスティングをしてから、毎日の寝覚めがよくて、なんでもできるようになりした。」

「この指の動きを見てて、そう、シュッとシュッと、そうそう。そうするとほら、もう姿勢が骨格から変わってるよ!ほら!これって君自身のイネイトの力を引き出しただけなんだよ!」


まず言うと彼らの身体は醜く、彼らの言葉には実感が伴っていない。違う言い方をすると、自分がかつて遭遇した「身体感覚 / sensation」を、(失敗に終わると分かっていてもなお)他者に伝えようと、仕方なく言葉を当てがったゆえの言葉ではない。彼らの吐く言葉は、そういう「仕方なく一時的に使用する」言葉ではなく、むしろ、貧しい身体を言葉で補填しようと、貪るように摂取して藁のように縋る言葉だ。

そもそも何もないところに何かを生もうとしたから、無駄に言葉が生まれる。それ自体がそれ自体の根拠とはなれないので、あらゆるものは別に根拠を必要として、そこにまた言葉を召喚せざる負えない。

なのでずっと同じことを喋り続ける、一方で、身体は決して変化しない。正確には、老化等の自然な摩耗以外の変化を経ない。そんな営みはシャブ等の悪性ドラッグにハマるくらいに不毛なことなのだけれど、本人達は気が付かない。そしてずっと同じことを喋り続け、時たま音の響きだけを変えて、身体は何も変化しない。消極的な老化以外の何も起こらない。


彼らはまるでそのことに気がつかない。幾重もの入子構造を持った、すごく特殊な不毛や無駄に包まれていることに気がつかない。と言うより、そんな盲目さこそが資質なのかもしれない。アスペクト盲であることの。


●アスペクト盲という事態


アスペクト盲とはよく言ったものです。アスペクトとはここで「側面」くらいの意味合いでしょう。つまり、立方体が目の前にあるとしまして、アスペクト盲である人はその立方体の、目に映る側面を見ることしかできず、つまり、その上や左右の方向に隣接している他の3つの側面や、裏に回ったりコロリと転がしてみないと見えてこない、残りの2つの側面に気が付かなかったり、または、そもそも中に何が入っているのだろうかとか、岩のようにもっと大きなものから切り出されたものなのか、粘土のように可変なもので組み立てられたものなのか、とか、誰がどうしてこれをここに置いたのか、とか、そもそも私はなぜこんなものに注視しているのか、とか、そういった幾つもの「側面」に気が付き得ないような状態の人を指します。つまりそんな人は立方体を見ていません。その立方体はその人の前に、条件反射の条件としてのみ存在していて、つまり存在していません。


どこかで誰かが言ったように実は誰もが常にアスペクト盲であり、それで殆どのことが上手くいきます。むしろアスペクトに、the other aspects / other aspects に気が付くような人というのは稀です。そんな人は、アスペクト盲にも気がついてもらえるように工夫するか、そのアスペクトに関して沈黙するしかありません。そのアスペクトはその人をずっと注視しているのですが。


●前頭前野という遊び中の遊び


はい、私は前頭前野は進化的に最後の中枢神経だと思います。中枢神経の最後である脳の最後の大脳の最後であると思っています。私達の神経系は、基本ユニットこそはニューロンという均一な構造や出来事であるのにも関わらず、もう少し大きな規模やまとまりにおいては、それぞれに何らかのモジュールであるとでも言うしかないような固有性を持ち始めます。呼吸を司ったり、感情をどうこうしたりとかっていうやつです。多分そんなことは、重力をも含むような(究極的に広範な)意味合いでの(環境との)相互作用の(膨大な)結果(の累積)として、まるで偶然のように整然と既成事実として実現したのでありましょう。が、こんな厳格な偶然の歴史に収まらない事態が、ことの最後に起こったのではないでしょうか。

そいつはニートです。遊びの部分、というか遊び、遊びそのものです。根本的には何の生理機能も司っていません。「正直何でもいいです」とそいつ自体が言っています。名前は前頭前野ですが、彼自身は「別に何でもいいです」と言っています。

彼は「進化」と呼ばれる時間の枠組みの中でも最後に生まれました。正直、特に何か切迫した理由があったわけでもなく、生命の無意味なセックスとマスターベーションの末に偶然として生まれた偶然でした。彼が「偶然のようだ」ってのは比喩で言っているのではなくて、彼は本当に偶然です。彼は、必然的でない事柄をどのような必然として表現するかを担いながら、時として全ての必然を偶然に帰してしまうのです。なので彼の本当の名前は偶然です。


いつも通りの言葉まみれのまるで許せないような駄文を許せないのは、そんな言葉や文章をゴミのように吐き出している時、皆さんが彼の本当の名前や姿、つまり力を見失っているようにしか見えないからです。


本当に何でもいいんです。どんな音で何と呼んでもよくて、何かを考えてもいいし、何も考えないでもいいし、何かを考えながら何も考えないでもいいし、何も考えないという何かこそを考えてもいいし、呼吸をしてもいいし、しなくてもいいし、仕方を変えるのでもいいし、それらを組み合わせてもいいし、食事についてもそう、食べても食べなくてもいいし、部分的に欠落させてもいいし、寝ても寝なくてもどうしたっていいと思います。どのような動きをどのようにしたって構いません。必然に思えるようなことの全ては偶然としても機能します。本当は本当に何でもなくちゃいけないんです。情報量はありません。ゼロ。全くないです。


何を何としたっていいということに気がついた時、つまり aspects と言う the aspect に気がついたとき、彼は喜びます。と言うより動きます。ドーパミンが流れ込みますから。

「何を何とする」ということの究極であるところの文法、言葉の繋がりに関する規範こそを破壊し始める時、彼は最高潮に興奮したりするのですが、そうすると彼はもう、彼の機能を支える仲間達の生存を気にかけなくなりますので、少しそれは危ないです。生体としてのまとまりを失うことになりますあなたは。

実を言いますと彼はそんな事態を喜びます。彼自身は喜びます。でもあなたや私は彼自身ではありません。本当の祝祭以外の時には、私もあなたも彼自身であることも、あり続けることもできません。でも彼はそんな事態が好きです。文法をはじめとした自己保存本能を打ち破って踏み躙ることが大好きなんです。彼の別の名は祝祭です。そんな祝祭に歴史はありません。


●まるまるで許されることのないような駄文は

そんな駄文は、そんな祝祭の最中に彼や彼自身となった生体が刹那に呟いたことであったり、そんな呟きが無意味な自己増殖をした結果なのかもしれません。言い換えれば、祭りの日のシャーマンの呻きを、村人が100年間くらい口頭伝承したのちに書き写した言葉なのかもしれません。つまり何が皮肉かって、何でもよかったものが何かでなくちゃならないように振る舞い始めていて、誰もそんな権威の不当性に気がつこうともしていないということです。そんな唾棄に値する惰性を前に、彼は涙を流して笑っているのに、誰も彼の隣に座って同じようにみようとしないから、私はまた壊れたくなります。

意識を意識的に使用する、とかの一文でいいのではないでしょうか。これは以下のことを含みますので充分でしょう。

・息を止め始めて3分後までには訪れる、横隔膜の収縮を、主には大脳辺縁系が作出する虚偽報告として無視し、少なくとも4分間は止息する。もちろん彼は喜ぶ。ドーパミンという「運動性の(生理学者曰く)」神経伝達物質が前頭葉を流れる。

・目の前に見えない(時に見える)球や円錐、というより任意の姿形を出現させ、それに任意の手触りを感じる。もちろん彼は同じように喜んでいる。本当にそれは何でもいい。実際に目の前にある人間でさえあっていいし、そんな人間が実際に目の前にいなくてもいい。私は自分の足の親指をテーブルの下の女性器に挿入したことがあるが、目の前に女性が座っていたかは覚えていない。

・食べない。例えば、糖質という主エネルギー源だけを摂らない。よって代謝経路を変更する。理由はないそれは遊びであり、理由なく求められる変化だから。または食べない。本当に何も食べない。それで代謝がどうなるのかを観察する。水だけではダメだということを実感する。彼は途中まで本当に喜んでいて、途中からは黙ってしまう。もしかしたら眠っているのかもしれない。でも本当は水だけでもよくて、彼は本当は最も起きているのかもしれない。

・よく言われるように考えない。考えないということも考えない。そんなことを理想として語る言葉の組み立てに関しても考えず、考えないがかんがえあにになってきたらかけがえのないかんがえなんてない。そして時として1bitの情報に1000TBのメモリを使って考える。

・走り込んでみる。つまり酸素とグルコースを細胞から絶ってみる。他者の視線または自意識が消失する。突然に停止した時には失禁しているが、それを不潔とも不快とも思わない。または3時間静止する。または感覚遮断実験に参加する。できなければ夜の本当の森の暗闇に入る。

・殺してみる。命だけは相対化してはいけないという考えに敬意を払いながら、そうしながらナイフで殺してみる。何らかの枠組みを壊し、そこに別の液体を注ぎ込む。その時の手触りは忘れない。本当にいい音がした!多分不毛ではないどこかへ繋がる、多分あなた方が求めるような幸福をあなた方により多くもたらすような、業の深い響きがしました。彼と私はそんな幸福をクチャりと無視して喜びます。この喜びは即自性で、他に何も要らないのです。でもありがとう。アスペクトを教えてくれて。私達というアスペクトを、私はようやく見つけることができました。

●惰性

彼は惰性を許さない。それは快楽ではないから。彼の活性は変性。そんな自己矛盾的な機能を私たちは携えて、それでも種という枠組みを保持している。のかもしれないし、もう本当はそうでないのかもしれない。本当にどうでもいい。ただ一つ許せないのは、私が必然のペニスで殴打され損なわれること。そんなことを退歩ということだけは許そう、と彼が言ったことをここに不遜にも翻訳いたします。





ae