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総記 ・ 何も書いてない




枕語り

何も書いてないし何も書きたくない、というか何かを書いてる訳でもない。実際に起こっているのは神経伝達物質の周期的な洪水であり、詩的に表現するならボレロ、繰り返されるボレロ、ボリュームを増しながら永続するボレロ、と、その合間に流れるジムノペディエス。時にクラレ・デ・ルネ。自分が実際的には本当に何も書いてなどいないことは分かっている。自分の中で起こっている運動をそのままに移すことに失敗しているし、そもそも仮託しているツールにはそのような機能はない。能力的にもそれ以外の前提的にも失敗が予定されていて、結果的に俺は何も書いてない。しかしながら書いて吐き出さなければ淀んでしまう。しかし今澱んでいる全てを納得の行く姿形で吐き出すことはできない。なぜなら有限でありかつ物事には流れ、リズムやテンポがあるからだ。でも何らかの形で今吐き出しておかなければ内圧に押し潰されるという滑稽な逆説が実現してしまう

ので

今澱んでいるものらにそれなりの骨格、お粗末なアウトラインを与えて晒しておく。近未来の自分への will 意志であり遺書として殴り書く

始め

「 一致、一致させること、それから組織と構成 」

手段や習慣に組織と構成を与える前に、お前の心身は一致していなければ、お前は心身を一致させておかなければならない。奇形のピースを中心に組まれるキャッスルは複雑怪奇であり脆弱となる。組織と構成、習慣と手段を持って現実を前進展開させる以前に、心身を一致させておくこと。つまり実際のところ何を求めていて何を求めていないのかを明らかにし、前者のみによって心理的構成とすること。よって得られた限りなくシャープシンプルなピースをセントラルとして意識的構築を開始すること。でなければ決められた通りに欠陥が露呈し、お前は薄っぺらい運命に嘆きながら誰の記憶にも残らない低級抒情詩を口ずさむことになる。

積極的に表現し直そう。美しい城を建てるなら、強靭な都市を生み出すならば、中心の礎石は限りなく無駄のない凝集物にしておくこと、最初の供犠には最も美しい自らを選ぶこと。

「「 do un op 」「 do un do 」」

結局のところお前は、どのような do でありどのような undo なのか?
それをなぜ明言しないのか、明言してみないのか?
何を恐れているのか? mutation は結局は予定されてる
変な意味じゃねえよそのままだよ

「 時間意識、時間という建築について 」

時間というのは意識的な構築物であり、逆に言えば無意識と呼ばれるような深層意識においては存在していない、だとか密教秘教的分析をしたいのではなく、より素朴かつ強力に述べておきたい事柄が時間についてあります。それは、時間っていうのは非常に素朴な段階から今に至るまで展開されるに至った、意識されにくい背景アニメーションというかなんというかなんですってこと。具体的に言おう。

1:・とか ● でした

2:それが振り子のように振れるだけの反復的な世界観、時間世界
「原始的な」部族は等質な昼夜が繰り返されるだけの(一生に渡る)意識世界を持っている。原始的なを「」に入れた理由は、直前に述べたような意識世界を持つことこそが原始性、原始性の本質であるから。つまりトートロジーであることを意識してそうしました、ということに加えてここで、空間認識の上にどのような時間意識を建て付けとして置いてますかぁ?ってことが、人間集合(←部族社会から文明社会の全体を表す一般呼称として使っている)の知的発達度合いを指している、ということを付言させてくらさい。但し知的発達度合いといった時の知性というものは、どうなんでしょう、トータルなものではないかもしれません。というか素朴でトータルであったものが、特殊を越えて奇形になっていく過程における程度を表しているのかもしれません。もしかすると僕たち以上に発達した(?特殊奇形へと進展した?)時間意識を持つに至った人類的生命がかつていて、そんで絶滅し、みたいなサイクル何回目?みたいなこともあるかもしれませんね。興味深いけどどうでもいいです。今より他の何処へ行けるわけでもないですから。実際的には

3:振り子の力が強くなって、反復が円環となった世界。日本の四季みたいな世界観、といえば分かりやすいか。・とか●みたいな即時オンリーな非時間的時間意識でもなく、振り子のような反復的世界観でもなく、回り続ける振り子ならぬ振り子による円環循環的世界観、円環循環時間意識ぃぃぃ

ここで抜き出しておきたいのは振り子の「振れる力」です。なければ停止静止として・とか●でしょうし、それなりにあれば普通に振り子でしょうし、あり過ぎればぐるぐる回ります。そして次は「回るくらい強い「振れる力」」より強くなった場合、つまり、

4:振れる力が強くなり過ぎて振り子の玉が直進運動してるだけに見える、みたいな感じ、が訪れます。振り子の玉が同心円を絶大な速度で拡大していった場合、より緻密には、その時にある円の上を円環する速度より途方もなく速い速度で「同心円を拡大していったら」、つまり外側へ外側へと引っ張られるように運動していったら、運動の全体から円環要素は縮小し、単純に「かつての中心(振り子の紐の根本)」から遠ざかっていくような直進運動(の要素)が拡大していきます、というより単純に直進運動にしか見えなくなります、時間というものは

1〜4の具体的内容はどうでもいいです
私が言いたいのは、「時間」といった致命的に根本的な事柄についても、
無から始まってなぜだが展開されていくような「素朴な幾何学、運動(ぶっちゃけお絵描き)」といえるよなっていうかそうだよなってことです。(だからこそ音楽の可能性は大きいよねぇってことでもある。)

ここで一応振り返って1〜4に別種の整理を与えると

1とは無、静止、停止

2は1からの展開進展逸脱としての最初 反復  推進力は遠心

2から3は遠心の進展 結果的に反復から円環へ

3から4は質的な転換を孕む 振り子の紐の紐帯性が遠心力に根負けして、円環は円環なき拡張となり、観察者からは直進運動にしか見えない

始まりの無をも含む広義の振子運動
静止 反復 円環 直進 次は? ?

そしてこの記事に対する唐突な一言
遠心/拡張は意識というものの根本的トレンドかつモチベーションであり、このことは様々な領域で色んな人が色んなふうに言ってきたよね ってこと

静止する点 中心に振られる振り子 中心を中心として回る円環 円心なき純粋遠心/拡張の結果立ち現れるまさかの直進運動!!!


「 ネタにマジになってメチャメチャ 」

ネタにマジになるとメチャメチャになるよねって話。現代だと主にはお金の話になると思う。でも神についてもかなりそうだと思う。ていうか0って全方位から極限された輪郭線で、神って「意識が大好きな拡張運動」の永遠の外側(であり内側を完全観察しかつ部分的に支配する永遠の上位層みたいなやつ)ですよね・・・?

内側への全方位極限運動の結果として現れる輪郭線が0で(もう一歩進んで・が今で言う0にならなかったのはどうしてだろう、ってどういう意味なんだろう***)
外側への全方位極限運動の結果として(0みたいに狭まってくる感じで)立ち現れてはこないから視覚的に補足することが出来ない不安により人格付与されちゃったり擬人化されちゃったりするのが神・・・ですよね・・・?(僕自身の想念思考世界では全く違うものが神として、というか最も複雑流動莫大繊細なものとして措定されている。)

***のとこにセルフ助言しておくなら、・まで極限しちゃうと陰陽反転的にというかクラインの壺的にというかなんというかで神になっちゃって、多分むしろ(わざわざそれとして組まれた)論理構造というか意識的意識構造としては破綻するからなのかな ・・・? 実際メヴィウスの輪ってそれ以上それ以外の「役に立たない」よね。つまり合流したり貫通したりしないことを前提として成立する位相を合流したり貫通したりすることは、そのような位相を設けた目的、というか意志 will には適わない、役立たないから合流貫通させないよ、基本的にはそういうことしないよ、トリックとしてたまにそんなことして顕にすると「全体のあらまし」がよく分かる切っ掛けになるよねいい学習機会だ的な感じでしかそういうことしないやつ、ということでしょうか

「 ニコニコ風船 ⇆ ペリクレス ⇆ ヒトラースターリン 」

円錐状のヒエラルキー(別に普通に三角ヒエラルキーでもいい)を成す私たちの統治形態、私たちという統治非統治様態への記述となります

分かりやすいので逆から説明します

ヒトラースターリン的様態とは、頂点にある統治者が全体構造(=ヒエラルキー、またはヒエラルキーing)に起因する利益の大部分を手中に収め、かつその全体構造の運動方向を決定しつつ、その運動に由来する利益(の大部分もまた)手中に収めるようなやつ

ペリクレス的様態とはその逆みたいなやつ。善性悪性みたいな基準で言えば逆みたいなやつ。頂点にある統治者が、そのポジション/ニングに起因する受益を全体構造に還元しまくっていたり、全体構造の運動先を、構造の下部を成す人々にヒアリングとかもしながら、言うなれば正しく決定するやつ

ちなみに上述2様態について、統治者のすぐ下にいる頂点直下周辺層(参謀局にいる上位官僚、みたいな人々)がどれだけ「ステルス受益してるか」とか「受益したものを全体構造や構造下部に還元しているか」というとこでも違いがある。ヒトラースターリン的様態では頂点直下周辺層もエゴイスティック、ペリクレス的様態では頂点直下周辺層もバランスのいい利他者みたいな感じで、想定措定されている

んで、歴史上最もコミカルなのはニコニコ風船的様態で、多分儒教文化圏で起こりやすく、日本ってのは極端にこうなってる気がしている。

ニコニコ風船的様態は、円錐の頂点に穴が開いてて(カラーコーンの頂点部分が切り落とされてる感じで)、そこにニコちゃんマークが描かれた風船が乗ってて、この風船の処遇(そのままそこにあるかそれとも飛ばされるか)はその下部構造に完全に依存している、つまり「頂点直下周辺層か、大衆と総括されるようなそれ以下の層に完全に依存している」か、「頂点直下周辺層と頂点直下周辺層に往々にして操作されている大衆に依存している、結果的にほぼ頂点直下周辺層に依存している」。んで、ニコちゃん風船のすることは、すべきことは、そのまま(ニコニコして)そこにあるだけ。頂点直下周辺層は(大衆からの搾取という形で)ステルス受益を永続しながら還元せず、一方で(頂点直下周辺層は(方向性を規定する)頂点としては振る舞わないので)全体構造は静止、停止し続ける、みたいな。構造と事態全体の賞味期限は、外部環境にこの硬直したカラーコーンが踏み潰されたりするまで、つまり完全に外部環境依存、みたいな

以上3つの可能性は色覚におけるRGBみたいなもので、実際の統治非統治様態はそれらのブレンド でもやっぱり日本はかなりニコちゃん風船だと思う 麻生さんと安倍さんに人格を感じたことがない 当人たちはかなりそのようにそれとして醸成されてるから気がつかないと思う 固有名詞は出来るだけ使いたくないなあ

「 エラーとマナー~穏やかな革命について~」

システムにエラーはつきものだし、それに修正を加えるのはマナーだよね、っていう穏当なシステム観が社会に広がれば、革命とかっていうイカつい呼称をされてきたような社会変動も、変動なんて言う必要ないくらいスムース円滑にされたりしないかなあってこと

「 現代社会について ~言語・貨幣・石油~ 」

現代社会っていう集合と事象を形作る、基礎骨格的マッチポンプ群について

「 代謝サイクルクロニクル 」

ヒスタミンやグルタメートといった基礎基盤的神経伝達物質の代謝(特に分解)に異常(特にその結果生じる洪水的だぼつき)がある個体って結構いるから、そういう人はそういうのが無い人とは区別してあげるといいよねっていうような楽観希望を結論とするような、それまではそれなりに穏当な神経生理に対する客観的アマチュア記述が展開されるヒップホップリリック

「 カルマ:トラウマ:コンプレクス;フェチズム 」

:は「or, つまり」、;は「and, それと」

多少の異なりはあれどカルマトラウマコンプレクスは同義と思っていいし、その同義部分に当たる中核を押さえて、纏めて捉えた方がいい。その中核部ってのを取り出すと

「ある時点で発生した心理的過負荷が、心理構造を保持するために未処理のまま保持されたもの。未処理とは無感覚かつ無感情とも言える。」

つまりカルマトラウマコンプレクスの中核部はコンプレクスの内容と重なる。カルマはこれに対して、コンプレクスはどうしてか世代を越えて親子に引き継がれることを前提としてその「コンプレクスの運命のような連綿さ」と「その連綿の断面としての子孫、個体が負っている害悪と処理責任」みたいなものを指してる、のだと思う。トラウマは、コンプレクスのもつ破壊的側面、コンプレクスを解消する際に発生する負の影響を意味していたり、または逆から単に、自己破壊的な性格を持つ強力なコンプレクスを意味している言葉なのだと思う。

そしてフェチズムとは、未処理状態を保ちつつもカルマトラウマコンプレクスに触れるような行為であり、繰り返される具体的な常同行動を指していると思われる

あくまで切開も処理もしないけれど、その周囲でそれに微かに触れたり、覗き穴から中身を一瞬覗いて刹那または断片的なカタルシスを得るような行為

カルマトラウマコンプレクスとフェチズムの具体的な繋がりや対応関係は、当人の個人史の影響を当然に受け、まあそうかというようなものからいやいやどうしてというようなものまである。そらそうだ

「 バランスアンバランス ~ 呻き、叫び、コード ~ 」

バランスをアンバランスさせることやその際に発生するエネルギーを推進力として一定の方向性を持って漸進すること、には当然に「価値がある」っていうか楽しみがあると言えるけれど、アンバランスそれ自体に「価値はない」し陳腐でしか無いよねってこと

んでバランスって具体的には?ということにそれぞれの要素を色々に並べ立ててみると

動作 感覚 感情 想念 言語 思考
細かい関係を厳守したような表記をするなら
(動作・感覚・感情)))想念|言語⇆思考 
つまり想念は想念以前の写し絵であり、言語というインタフェースがそれをある程度操作(組み替え、差し替え、消去、添加、等々)し、その結果として意識される層として思考がある、みたいな?

パト オト カト

なんとかチャクラなんとかチャクラなんとか・・・・

食事入浴睡眠運動交流

とかとか

とにかくバランスと、アンバランシングと更なるバランス、を私に求めます

「 文明案内 」

食事入浴睡眠運動交流といった生活の基本的諸側面において、早いうちにこうした方が、というかこういう観点を携えて漸進的に学習した方が、いいしっていうか楽しいし、多分自分も周囲も幸せだと思うよってこと。というかそういう楽しみや楽しさを生活そのものとする素晴らしさってものがあり得ると思うよってこと

『 独葬 』

寓話

全面的に失敗したヴァージョンのレーニンみたいな男が、国を追われて辺境の地をとぼとぼ歩いていると、メフィストフェレスみたいな悪魔が取引を持ちかけてきて、それでその内容が「お前の芳醇な記憶をお前が死んだら俺にくれ、つまりお前の魂を死後に貰う、その代わりに生きているうちに効力を発する何かを何でもしてやろう」ってものだったから、レーニンみたいな敗残者は「じゃあ俺の名前と顔を奪ってくれ」って言って契約は成立し、そんで男は顔と名前が失われた状態で祖国へなんなく帰国し、んで、前回の敗退に至る全ての社会的活動を、顔と名前がないままで繰り返すようにっていうか本当にそのまま繰り返すんだけど、顔と名前がないこと、つまり彼の行動の影響を受ける人々の心理世界で彼という固有のアイデンティティーが結ばれるようで結ばれないことが、「私の世界に散らばっている神様的な、見えるようで見えない聖なる存在が何かしてくれている」みたいな印象を衆生に抱かせたことによって、逆から言えば、個人として同定されないことで人々の権威主義的同調も反発も引き起こさないことによって、前回は失敗した事柄を今回は穏当かつ円滑に実行実現していって、んでその結果として野望であった国家変革社会変革を成し遂げ、まあそれなりに幸福な社会が実現され維持されるんだけど、そんな安寧とした時代の最後にやはり彼は死ぬわけで、んで死んだ彼に顔と名前が戻ってきちゃって、そうすると彼の名前や顔というか肖像つまり彼の確固たるアイデンティティーを継承したとかいって標榜しつつ権力掌握しようとするセクトが多数発生して、結果として長く激しい政治闘争と武力衝突によって国は荒廃し、その影響で難民となって国外を彷徨う一家の次男くらいが、偶然なのか必然なのか出くわしたメフィストフェレスと、なんか契約して物語は永続するんだけど何かは決めてない、というか忘れた この最後のとこから思いついたのに と思ってたら数日後に思い出した 少年はまずメフィストフェレスに 名と顔の無かった独裁者の顔と名を 自分に与えるように要求する しかしメフィストフェレスはこれを拒否する 死者のものは死のものであって干渉できないしそれに その名と顔の下に齎せられるであろう記憶は彼にとって既知であったから 刹那逡巡した後にではと言って少年は自分の名と顔を奪うように要求する メフィストフェレスはその先についても既知であるような気がしたが 与えるよりは奪う先の方がまだ既知でないような気がしたのでこれを許諾し 対価として 少年のそれからの一生の記憶を所望した

このようして契約は成立された そして記憶物語の永久機関が輪を閉じて その中と回りで人間は翻弄される むしろそれが我々なのだと気付くまで

『 神、沈む奴隷船 』

アフリカの東海岸みたいなとこを起点として奴隷狩りが進展した
17とか18世紀ぽい三角貿易的世界の話
最初は恐怖で散り散りになる現地民
そのうち、というかすごい時間が経つと
恐怖が反転して畏怖とかになってて
そんで具体的なレベルでは奴隷として海を渡ることが尊いことみたいになってて
なんなら奴隷狩りをするのも奴隷船を運行するのも、現地の管理職についてるのも現地民になってて、そんでこれらの背後の精神世界では、奴隷として海の向こうへ連れて行かれるのが、聖なるイニシエーションみたいに語られるようにもなっててなんなら海の向こうの先進文明社会に辿り着いた人々は天使!みたいになってて、そんな感じでこの奴隷貿易っていう現象は情報的にも物理的にも肥大していって、組織も船も物語もでかくでかくぶくぶく太ってって、そんで不慮というか当然の事故として奴隷船が沈んじゃって乗員全員死亡しちゃったってことが起きたんだけど、それが奴隷の聖書にクライマックスの使徒集団昇天みたいに描かれて付け足され、そこまで含んだ聖なる物語がある程度は宗教として体系化された形で海を渡って先進文明社会の奴隷層に軽いカタルシスをもたらしました、みたいな

『 悪魔を見た 』

人間って形を変え品を変え言葉っていうか発音を変え、でもいつも同じようにして「悪魔を見ているよね」っていうような認識に端を発したり、そのような認識を土台として可能となる何らかの物語

『 消えた 』

ある朝ホテルで起きると何か、眠りに落ちるまでそこや隣にあった、何か重大で大事な何かが消えてることに気がついたんだけど、それが何なのか誰なのか分からないまま探しに探しまくって、ってとこまでしか判明してない物語

そんで今思いついたけど、家族とか恋人とか愛人とか社会的ステータスとか車とか職とかクレジットカードとかこれまでの評価とか全部全部無くなってないか捜索確認していったらまあ全部全部そのままあって無くなってなんかなかったんだけど、その捜索確認過程で意識的に触れ直したそれらのどれもは自分にとって消えて無くなってしまってもいいくらいのものでしかない(と感じてしまっている)ことに気が付いてしまって、あ、消えちゃってたのは俺だったんだって気が付いた末に本当に消えちゃうんだけど、誰もそのことに気が付かなかったって話(、と言いつつお母さんか奥さんは消えたことに気が付いて「消えた!」って言うんだけど他の人は「何が?」ってなる話。)

『 何も無い街 』

何もないから全てがある街への端的な描写

『 ピエロのお話 』

大人気ピエロが「ねえ、何をしてるの?」って子供に聞かれちゃってからの遁走劇

『 ララ 』

インディアンの寓話

首領の系譜にある娘は、その日も現首領である祖父の横で、彼に陳情しにきた男と祖父の会話を聞いている。陳情者が帰った後で祖父は孫娘に、彼は何と言っていたかい、と聞く。娘は、近頃天気が安定しないってこととか、獲物を逃したっていうこととか、そういうことを言っていたと返す。祖父は、そうじゃない、心の声は何と言っていたかい、と娘にまた尋ねる。娘は何も返せない。何故なら何も聴こえなかったから。それは娘が精神の聾であったからではない。むしろすごく逆。このインディアン居留地の全体と、その外で繰り広げられる現代社会が奏でる膨大なノイズが、娘の心理世界に常に滔々と注ぎ込まれているので、娘には目の前で鳴る羽虫の羽音を聴き取ることなどできなかった。そして物語は、孫娘が心の聾である可能性を憂慮しながら祖父が死んだ後、これを契機に崩壊した居留地の外へ、膨大なノイズの本流の中へ、誰よりも心と心のざわめきを聴き取ってしまう一人の娘が、漕ぎ出し、漂流し、どこかしらに辿り着き、それまでに漂った海のことや小船である自分について、何らかの諦めと納得を手に入れるまで、そして彼女の些細な諦観の中で人間が少しだけ救われるまでの話。

』 X 『

多分山から降りて来て砂漠を越えて来たばかりの異邦人が、オアシスを掘り当ててそこに巣食うように発生した永い街を、解体し浄化していく様

『 掲示板 』

私たちの寓話1

『 アイダ 』

私たちの寓話2

『 ボレリングバベル 』

バベルがボレロしてまたバベルする始まりまでの終わりのこと

『 エルヴス 』

わたしたちの寓話0

eqo 

次の時計

address

半実仮想地図

let

忘れる手紙

current

停滞を流通させる nudge のような仕組み?


ーー


一度出したものから私は逸脱するという運動がわたしです







ae