春さキーワード ◎




無や虚無といった発想は転写や投射という機構を前提とした、と言うより転写や投射という機構に内在する「出来事」をそのままコンテンツとしてスクリーンに映し込んでしまったようなもの、または処理過程の孕む一つの必然に過ぎず、逆から言えば実体や実際でないので気にもせず、例えそれがあるように見えても他の基本的な事柄を充填しようと思います。このポンコツお目目を無視して私のおつむとカラダで

他の基本的な事柄とは何だろうと言うとやはり究極的には「運動」と言わざる終えない負えないのだと思います。無と言った時にはその一点性のニュアンスから凝集性の高い運動、特に螺旋や回転、虚無と言った時にはその放散性のニュアンスからそのまま放散性ないし拡散性の高い運動、そのまま拡散や放散に置き換えようと思います。繰り返し、無には凝集性ある螺旋や回転を、虚無には放散や拡散を、きちんと見て取ろうと思います。目を瞑って


おもうに
自前の解像度を越えてしまう高密度な運動や
自前の視界を逃れてしまう放散と拡散を
私たちはどう見てきたと言うのか


言い換え、宇宙の発生と膨張といった「一番最初の一番ミクロ」な場面についてであれ「一番マクロな一番最後」の局面についてであれ、私たちが感じそして描くネゲントロピーとエントロピーの極例への表現について、無や虚無と言った「実体でも実際でもないもの」(処理の対象として在る物事ではなく処理の過程に含まれる出来事でしかないもの)に委託することを辞めようと思います。別にそれで何がどう変わる訳でもないのですが、ありもしない風穴からの風に吹かれたくもありません は?

目を瞑り手放し、口を閉じて口付けをする、その時の唇に触れる温度と質感から世界を組み立て直す。そのようなことでしかない ほ。

私は今になり改めて、言語の作りを見渡すことを欲している。そして見初められた新鮮な言語により新しい時間を書き下すことを欲する。


時間を運動の尺度から濃度へ
転換 帰還させる


春は芽吹きの季節であり、この体温がそれを可能とする よ。










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