お父さんおめでとう



お父さんおめでとう!

この祝いの言葉に脈絡はありません!



秩父を歩いてきました。秩父と呼ばれる、ヤマトタケルと呼ばれる想像上の人物と縁があると想像されている場所でした。そのことを延々と、道ゆく老人に説教している歴史の教師か、歴史が好きな一般の中年男性がちらほらとおりました。秩父と呼ばれる場所に鉄道で着く前に、一つか二つ前の駅に降りました。そこから秩父と呼ばれる街に歩いていこうかと迷いながら歩いて山に迷い込み、色々な斜面を登ったり降りたりしました。凸凹斜面を昇降している間に疲れは感じませんでしたが、その後にコンクリートの平面に降り立つと疲労をどすりと感じ取りました。身体が課題から解放されて退屈し始めた時、それまでの記憶が思い出されたのだと思います。秩父と呼ばれる山間の地には、秩父鉄道と呼ばれる鉄道が南北を貫いていて、今回はその中間から北上を選択し、長瀞と呼ばれる川沿いの石畳と山腹にある神社の町を渉猟しました。殆どの喫茶店が夕方には閉まっていたことに好感を持ちました。やることが少ないということはいいことです。次は南の三峯神社に歩いていこうと思います。ていうか秩父って埼玉とか群馬とか山梨とか長野なんですね。ややこしいので秩父くらいにしてください。



その翌日には大崎とか田町とかっていう街のタワーマンションの19階から、それらの街を見渡していました。その部屋の主人にどう思われたかは分かりませんが、この部屋からは都市の正体が見えますね、と呟きました。特にそのような街の高層の窓からは、あらゆる交通手段が見渡せました。徒歩と車両と道路、線路に電車に新幹線、空を遮るジャンボジェット。ジャンボじゃないでしょうけどジャンボに見えました。それら一つ一つの物質の移動は音となってその部屋の窓に触れていました。それより少し小さな音量が私の鼓膜を揺らしました。その他には沢山の光がありました。あらゆるコンクリートの小箱に幾つもの電灯、道路をガイドする街灯、意志や偶然と計画によって点滅するそれらと、その向こうに朧げに浮かぶ月はありまして星は見えませんでした。この月も朧月ではありません。その部屋の主人と私は白いベッドの上でずっとお話ししました。必要であれば愛撫しました。伝えていただいたことは全て覚えております。この部屋はもっと静かだと思ったと仰っていました。もっと満たされていると思った、とも仰っていたような気がします。私は部屋の色調が白過ぎることに疑問を持ってしまいました。黒でない色で塗りつぶす色は何色だろうと思われました。



マットレスの展覧会というか体験スペースに行きました。いいものをいいお客様に買っていただきたいと言ってくださる初老の男性に、色々なマットレスを体験させていただきました。実際問題として自分の体癖や好みを知ることができ有意義な時間でしたが、その間に一度だけ、忘れていた怒りを思い出して体が止まりました。その時には販売員の方がマットレスについて話していました。それ以外のことは聞いていないので確かだと思います。マットレスは、時に上下左右を転じて使うとマットレスのためになる、とのことでした。これを聞いた瞬間に私は過去の怒りに揺り戻されて、しばらくは目前の男もマットレスも見ていませんでした。目の前の男はいかがなさいましたと聞いてきてくれていました。私はその一瞬の過去の風景で、あなたに、マットレスを動かすな、と言い付けられていました。

マットレスをどうして動かしてはいけないのか、スペースを確保するために、そこでトレーニングや運動をするために、どうしてマットレスを壁に立て掛けてはいけないのか、そしてそれ以上に、そうだとしてどうしてあなたが私にそんなことを言ってくるのか分かりませんでした。私にとっては、マットレスは動かしていいものだったし、動かしてはいけないとしても動かしたっていいものだったのです。私はあなたとは違うトーンで存在しながら聞いたと思います。どうしてと、そうするとあなたはマットレスに悪いとお答えになりました。それに対して私は、そう思ってそう言いたい訳じゃなさそうだと思いながら、マットレスのコイルにとって違う角度から重力を受けることや、マットレスのクッションにとって違う風に風を受けることはいいことだと思うよ、と答えました。

その時にあなたの表情を覚えています。何というか自分でも不可思議な不快に囚われているかのような顔をしながら、そのままあなたは次に、猫がいるからと言いました。猫がいるからマットレスを動かしてはいけないのは転落や圧殺の可能性があるからだろうと私は思って、転落することはないと思うし転落しても大丈夫だと思うし、マットレスが滑り落ちることはないと思うし滑り落ちても猫は死なないし、それにちょっとした冗談だけれど、マットレスに圧殺される猫は猫じゃないよ、と答えました。その時に母が向こうから、そんな猫は死んじゃえばいいのよ、と同じようにふざけて言っていたことも覚えています。あなたはその時何も言わずに去っていきました。それからでしたね。私が帰宅する度にマットレスが誰かに、床の上に敷き直されているようになったのは。その時からの私としては、見えにくい幾つものズレや不協和が、私たちの間、というか、私たちの間についてあなたの心の中に、広がっているのだろう、そしてなぜかどうしてか、そのあらましを見て取れるのは私の方だけなのだろうと思いました。でも今では分かるんですけどあの時の私ってちょっと怒っていたんですね。それかその時には悲しんでいたのかもしれません。

このようなマットレスってマットレス以外にも本当に沢山ありました。その度に私はあなたの意図と存在と感情に疑問を持ちました。何よりどうして、私の方には同じようなそれらが無いのだろう、それにどうして、親子という重なりにおいてこのようなギャップが発生するのだろうと不思議を巡らせてもおりました。今では分かるのですが、私はそんなギャップを不思議や不可思議だと捉えておりましたし、そのような好奇心を燃料にしてそれなりの全体像を掴んでおりましたが、あなたの方にある燃料は不安や不快で、見渡していた領域も薄くて狭かったのかもしれません。肩身の狭い思いをさせてごめんなさい。これからはもう全部大丈夫です。

こういうどうしてを最後に聞けるのはやっぱり母なんでしょうか。でもそれってとっても不健全ですよね。



マンションからの帰り道の翌日に、タワマン好きの人々と遭遇しました。そんな出会いにも文脈はなくてただ出会いました。彼らは大きなマンションを購入することを目的として生きている人々でした。前日にその眺めと感触を、それまでにも同じように何度も感じていた私にとってはシンプルにどうしてでした。どうしてわざわざそんな、石油の搾りかすを固めたようなものを、追い求めているんだろうと思いました。もしかすると本能でしょうか。例えばですが、汚れや穢れを避けて高所へと逃げゆくような、そんな本能。確かに最近思うのですが、私たちの社会っていう経済のアウトラインって、貨幣を刷ったり移すために石油を掘ったり使いながら石油を掘ったり使うために貨幣を刷ったり移しているようなものだと思うので、そんな自己完結した過程で使い倒される自然や人間ってもう随分と摩耗して見窄らしくなってきていますし、そこから這い出すには横ではなく上に行くしかないと思ったり感じたりしているような気もします。なのでこれらの人々はいつか火星にだって行きたくなるし、もう既に可能なら行きたいのだと思います。もしくはこの地上に留まりながら、マンションをまた貨幣と交換して暮らすのかもしれません。そして今度は小さなコンクリート片に囲まれながら、少しの収穫をまたプラスチックや砂糖と交換するのでしょう。

振り返るか翻って考えてみますと、自然のことは何にも分かりませんが、人間の人間らしさって何でしょうね、どこに宿るんでしょうか、どんな営みとして表現されるんでしょうか。中東の方にいた時とかそれまでのずっとに感じてきたこととしては、その時はまあそんな硬めの言葉なんて知りませんでしたが、多分ですけど、没入と喜捨それにシンクロなんだと思います。どれにせよ原始的だったり本能的、というより盲目的と呼ばれるような諸特性を抑制した上での営みなんだと思われます。というかそんな抑制そのもの、そこから先に広がりのある抑制なのかもしれません。多分こういうのって宗教と呼ばれてきた営みや信念が標榜していたことだったんでしょう。でもやっぱり多くの人が長い時間、扱い続けていると、全てのものは違うものになっていますね。私としてはかつてそれがそうと呼ばれていたところのものを何気なく再現して放っておきたいと思います。私がそんなことをしたら何をしたのかも知らず喜んでください。


それではお父さんありがとう

お疲れ様でした





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