自分のお纏め cure と care, いつもながらにSBDC




この記事は題名の通りいつも通りに自分のお纏めであり切り口として cure と care そして SEXBOXDIVECODE だとか何とかという枠組みを採用して巨大資本の提供によりお送りします。

ちなみにこの記事と何の関係もない(巨大資本由来の)CMめいた挿入をしておきますと、今現在の私は以下のような記事群を、書きたいなあ、吐き出したいぜえと思いながらそうすることができていません。急に巨大資本とか言い出すと何か怖いですよね。理性を失ったというか精神的体調を崩したスキゾイド/分裂気質者は本当に、哀れなほど容易に突如として権威主義に掬われてしまいますから。自分の動物的健全性にはめちゃくちゃ感謝したい次第です。究極的には母が料理上手だったこと、まともな食事をさせ続けてくれたことに由来しているのでしょう。食や味覚は知性や理性の絶対下地だと思っています。さておきCMです。

寓話 『 バベル完成、 』:共通言語や共通装束を獲得したことにより、文化的差異を犠牲にしながらも遂にバベルの塔を完成させた人類が、その褒美として何でも叶えてあげようと神様(バベルの突端に突如顕現した唯一神)に言ってもらえたので、バベルの塔に設られた議場にて日夜日夜の意思決定を試みるものの、意外にも議論が紛糾するだけでなく、それぞれが心の内に願ったものが意外や意外に「バベルの塔を完成させるために失うことになったそれぞれにとってのかつての生活様式や文化様式」であったので、神様はその隠された一意を汲み取ってバベルの突端つまり自らの座す位置に巨龍のような雷を落として塔を破壊し、よってバベルの議場に馳せ参じていたインテリ(当時の世界共通となっていた言語や装束を身につけていた人々)の殆どは生き埋めとなり、このことを発端として世界が再び、緩やかなグラデーションを取り戻していくという、完全が完成して破壊されてから未完の未完成として再開されるまでの物語

寓話 『 裏切り裏返り 』:道を行く男が前から歩いてくる見知らぬ女に対して「私は彼女と通り過ぎるか、彼女を裏返さなければならない」と確信することから始まる永続であり、男は女を裏返すことに心を決め、持っていたナイフで女の腹を刺すところから始め皮臓の全てを肉的に裏返すというような実際的儀式を路上にて完遂するのであるが、男が女を裏返し終わると男は女となって男の前を通り過ぎようとしており、その女を裏返すかどうかを男が逡巡する刹那を途中経過として途切れる物語。

散発 『 worship と warship 』:何度も繰り返すような記述をして申し訳ないけれど、戦闘ないし戦争と、それに資する信仰、信じること、というより信仰の如くに時空をすり潰すように強く深く実践される幾つかの行為実践について。例えば、暗唱、瞑想、呼吸、気功的自律運動、その他トレーニングや運動一般そしてあらゆる創作活動を、信仰実践として行うというイメージとその下での実際的プラクティスにより、積極的な回復や癒しを実現しましょうということ。つまり神を失った世界において措定構成される合理的かつ健全強固な信仰実践について。できればここに睡眠や食事といった生活上の基盤活動もまた含ませたいところだが、そのような基盤的な営みを worship とするには相当な worshipness をそれまでに育んでおく必要があろうと思う。


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cure

一般に仕事や余暇活動と呼ばれるようなものは私にとって救済 cure であるなと思うようになってきた、というか、私は自分による自分への救済活動以外のことを仕事とも余暇活動ともすることができないしできなかった、ので、私は自分による自分への救済活動しかしていない。仕事そして余暇として私は SEX して BOX して CODE しているが、これらは私にとって端的に cure 救済であって、もう少し言葉を継ぎ足すのであれば、闘争的救済である、というか、救済的側面の無い戦争なんてこの世に起きたことがあったのだろうか。純粋な破壊を目的とした戦争なんてなかったろう。むしろそれをすることができるのはシヴァのような遊びある神々だけであろうし、やはりそれは戦争ではなく純粋に破壊と呼ばれるべきだ。

ここで問題提起をしてみよう。その問題に従ってタイプを進めてみよう。というかまともな段落構成を、自分の文章に持たせてみよう。私は今現在、cure として SEX して BOX して CODE していてその内の幾つかは市場にて対価を頂くような意味合いで仕事として成立しているが、もし今現在の私のエネルギーをその内の一つに絞って注ぐのであれば、それぞれの活動はそれぞれにどのような様相を帯びるだろうか。具体的なレベルで私はどのように SEX/BOX/CODE して、具体的に何を成したり作ったりして、それによって何がどうなるだろうか。ちゃんと具体的に記述してしまうと私のプライバシーが deprive されてしまうので、やっぱりほんわか抽象のベールを被せた形でそれぞれに描写してみましょう。

1、私が SEX に全集中する場合

あらゆる場や経路において私の受容体を探すだろう。受容体とはここで、私という存在にどうしても嵌ってしまう他者のことを指しており、当然のこと私もまた私の受容体に対して受容体である。人が人を選ぶという出来事は相当にヴォリュームのある現象であり、むしろ余程のことや経緯が無いと人は人を選ばない。考えてみて欲しいのであるが、今日あなたの近辺を通り過ぎた人の数と、その中からあなたが何らかの文脈で「選んだ」人の数を比べてみてほしい。前者は意識の埒外である膨大であり、後者は殆ど毎日ゼロかイチではないだろうか。ちなみに今日の私が(何らかの文脈で、意識的に)選んだ、選び出した、選び取った人間の数は 1 であり、その逆に選ばなかった人間の数は千を越えるように思える。

人から人として選ばれるには相当な、思った以上のボリュームを持つ背景や経緯、由来や物語、文脈が必要となる。それらを備えてくれている稀有な存在を受容体と呼んでおり、繰り返すがこの関係性は双方向に成立する。そして正直なところ、特に自分の場合は、自分の受容体が何処に居るのか予想しにくい。何故なのかはまだ分かっていない。なのであらゆる場や経路において私は私の受容体を探す。そして探し出したならばその受容体と共に相互に「振り子とまなこ」する。私とその者は自分の姿形を理解、納得し、自分の姿と形が合うような場所や機会を選ぶ能力の高まりを感じることになる。

2、私が BOX に全集中する場合

鬼と氷、氷の鬼になることになります。それが正しい姿でした。

3、私が CODE に全集中する場合

今以上に朝に生きることになるでしょうし、一日の始まりを物語ることによって始めることになるでしょう。高まりに従って書き進めるのではなく、高まりと鎮まりの双方、暖流と寒流とそれらのせめぎ合いに発生するエネルギーをも使用することになるでしょう。そして中長距離をマラソンに、マラソンをウルトラマラソンにしていくことになります。段階が進むごとにむしろ一歩一歩という最小単位を慈しむような意識構成と生体実感が必要になります。


care

大体において DIVE と重なります。しかし食事と睡眠を含みます。care / DIVE の実践具体を列挙すると以下のようになります。

@言語:記述(作文作話)、暗唱
@肉体:相応(ヨーガ)、鍛錬(自重とボクシング)
@意識:呼吸(特に止息)、瞑想(サマタ止観、サティ遮那、ヴィパッ紗奈)
@生理:食事(入浴含む)、睡眠(夢を中核とし)

私は今@言語:記述しています。よって私を care しているのです。care は cure の後にチェイサーとして surely 必要なのです。cure の時間の合間にも care を小さく何度も挟むようにしています。ちょっとしたヨガをしたり、気がつかれぬように呼吸を止めたり、人知れず長めの詩を暗唱したりしています。そもそも今現在の主要 cure つまり仕事の本質は「@意識:瞑想(特にサティ遮那とヴィパッ紗奈)」なのですから、cure の内のちょっとした瞬間を care ともして過ごしたりしています。そして cure が終わった後には care に相応しい食事をして、夜の早い内に眠るようにしています。


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以上です。私は人知れず cure care cure cure care cure cure cure care ca---re しています。項目はいつもながらに SEXBOXDIVECODE, 交わること動くこと潜ること生み出すことです。










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