下らない愛について



緩く広い定義:

依存でも支配でもなく、その間に震える祈りなようなもの
自分の意志に依らない芽が生えてくるのを待つこと

具体的な表現:

marginal hug, soft watching,
warm greetings and good dishes

愛について、私という雑感:

強度な心理職に長期に渡って就業した結果、人間は愛されず愛せないようになっており、愛という言葉の意味合いや質感は相当にロストされ、もはや愛が不在であるということはドライなデフォルトスタンダードであって、乾き切った傷のように清潔な印象を放っており、むしろ好ましい状態とさえ見做されている、ということが分かった

なのでどうしてか愛を語ったり愛という言葉を用いたりすることにさえ、ある種の非現実感や滑稽さが付き纏う、というより自然に随伴するようになっている

正直なところ、こと私においても、例えば「人間は愛されず愛せないようになった」とは言いながら、それを無味乾燥な事実として俯瞰している節があり、というより実際にそうしており、心の奥底から響いてくる微かな警鐘を除いては、愛とは克服されるべき執着であるかのような反発を、愛というもの以前に愛という言葉にさえ感じている

それに、それはそれでいいような気がしているし、それ自体は良いことでも悪いことでもないと感じている。少なくとも、そのように考えていて、そのように考えてきたし、そのように考え続けていくのであろう、もはやそのように考えていることを忘れてしまうほどにまで、大多数の人と歩みを揃え

しかしながらここで私の記憶が問い掛けてきて、それに合わせて私の心の奥底で、ささやかな警鐘が鳴らされているのがどうしても聴こえる

提示される問はグロテスクな迄に洗練された骨格を持っている:

認知の崩れ、感情の淀み、肉体の崩れや過剰な装飾、とは、言語表現としては異なったようなものであれど、実態としては同じ一つの現象を指し示していることに、そして原因や背景と呼ばれるものは統一されていることに、あなたは気が付いていますか

打ち鳴らされる警鐘はヴォリュームを増していき、最後に恐ろしく研ぎ澄まされた手紙を残す:

お前はそれでいいのか

それで私は考えず、出来るだけ、出て来るまままに感じようとする:

私の首から上の肉体は、それでもいいと言っていて、私の首から下の肉体は、それでもいいは許されないと、首から上の意向を尊重しつつ反旗を翻そうとしている

首から上が無ければ何と言うだろうか、まずは涙を流すだろうか、それとも玉座を欠いた首から血潮の代わりに火を吹き出すだろうか、つまり忘れていた悲しみと怒りが、言葉を忘れて現れるだろうか

しかしこのようなナイーブは許せない。これは何処からの声か、そして何故、そんな禁止と抑圧を、受け容れ始めたのはいつからどうして、何だったっけ

このような事柄は個人をはみ出していて、詰まるところどんな落着にも達さない。思い出せる限界より遥か遠くの彼方から、今に至る文脈と流れは決定されている。下流の一点に向けて複雑な合流を成す世界樹のような川。その惰性が生む水圧から逃れるには、相当なエネルギーを持ってして棹を槍のように突き立て、川床を割るような荒業が必要になる

そこまでする必要ってあるのかな。しかも本来これって共同作業だよね。しかし本来とはほぼ常に私の責任ではないということの明言だ。そして私はそれじゃあよくないと、なぜかどうして想っている

これは論理でなく、想念でもなく、純粋に幾何学的な方向性、結果的なエネルギーだ。私に内在する、または私という

首から下に代弁させるまでもなく、過去をも含めたトータルな私は、それじゃあ駄目なんだと、それは実際すっごく詰まらないことなんだと、心の何処かで断定している

無駄な観念論じゃない
実際的な実践的アクト

ギリギリのハグ、柔らかな観察、温かな声掛け、豊かな食事、受け入れる心、心って何、まずは触らせてよ胸のところ、頬の肌、首筋、ギリギリのハグ、柔らかな注視

人間が人間に可能とする根本的な推進力は愛と呼ばれる。それ無くしては繰り返しが目的化される。軸や部品が摩耗していく不快と不安に気付かぬように、慎重に厳かに、世紀の繰り返しは継続され、全体として消耗しながら継承される

継承の儀式では荘厳かつ偉大な言葉が囁かれ、そこには不毛の砂漠に打ち捨てられた巨人像のような自負が映される。同じような姿勢で呻き続けることが神話的偉業となった時代の人々。しかしシーシュポスの偉大の毛色はまた違うものだったのに

さて、私は繰り返しを許せない。漸進しない回転からは焦げ付いた腐臭がする。自壊に向けて再帰的拡大再生産されていく様子だって、一回眺めればその喜劇性は分かる

ということで愛さなきゃならない
こういうこと、こう言うことから滑稽と自嘲を、取り除かなきゃならない
当座手の届くところ
私のとこから少しずつ
だが着々と

小学校や高校からの友達にさえ、愛してるよと言えなきゃならない。自らにより老い崩れていく父や既に自死した祖母らにさえ。時代の写し絵に囚われた祖父、賢者と見える無垢な童子であったもう一人の祖父、そして早くの頃から半分聾者で、目だけは開いていた可哀相な母に

口を閉じて愛してるを言おうと思う
死に愛をもって応えずは悲しいでしょう
死より前の生にだってね
何気ない日常でさえ
思い返すように生きている間に

俺はこれじゃあよくないから
頑張ってそうしようと思う



題名は愛について
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(((( この記事の詩的論調の全てを損なう補足をするのであれば、愛という関係性を欠損させる究極的な原因は、物理と情報における過密だと思っています。このような素朴で残酷で強力な確信は、『 隠れた次元 』を初読してから変わっていません。勿論それまでにも知ってはいました ))))













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