動観 dopa-morphine


快の錬金という記事を書き、その中で「不快を感覚・観察・想像によって快に変換してく」と書いたが、その過程について詳述というか敷衍、再表現をしておきたいと思う。最初に端的に言ってしまえば、ナチュラルハイを獲得する過程や技術として敷衍、再表現したいと思う。もちろん最終的には私のセンスでナチュラルハイは「動観 dopa-morphine」へと再再表現される。とか言いつつ言いたいことの全てがこの時点で(背景構造としては)示され出し尽くされてしまっているので、やっぱり論の対象を変えて、私が何を動観 dopa-morphinizing しているのか紹介ではなく宣言しておきたいと思う。正直なところズバリクラシックに以下のようになる。

読むこと ⇄ 書くこと 話すこと ⇄ 聞くこと 歩くこと ⇄ 走ること 打つこと ⇄ 打つこと これら究極的には 動くこと ⇄ 観ること

ただ ⇄ の用法はあやふやというか、項目のそれぞれに於いて異なっているが、やはりそこには円環・循環・均衡といった要素、性質があると思うのでそのまま適当に ⇄ を置いておこうと思う。

そしてより具体実践的な地点や段階に論を落とすとすれば、「不快を感覚・観察・想像によって快に変換してく」と言おうが、「ナチュラルハイを獲得する」と言おうが、「動観 dopa-morphinizing 」と言おうが、当たり前だがやることは同じで以下のようになると感じている。

一定の時間 一定のリズムで 無心無求で行う を一定の期間継続する

ここで無心無求とは意識水準を下げるとも言えるが、できれば記録を取るなどして意識水準を上げる時間によって挟むとまた効率的であると思う。つまり究極的には意識水準の上下動とその下での身体動作を design and execution してそれを楽しむ/愉しむ、とも言える。



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