反出生主義が跋扈する世界で
今年もまた出生数が下がっているというニュースを耳にした。
出生数は2015年あたりから、急激な減少を示し、今年度は80万人を切ることが見込まれている。
どうして、人々はこんなにも急に子供を持つことをためらうようになったのか。
もちろん、わかりやすい説明もある。
スマホの台頭による、娯楽の多様化。また、人生の様々な選択肢を取ることが可能になった、ライフコースの多様化もまた少子化に寄与していることと思う。
しかし、根本的な原因はそのようなものではない気がする。
人々が、子供を持つことにひいては「忌避感」を持つようになった理由は、もっと深層心理的なものと関連があるように思われる。
子供は人生の「足かせ」なのか
あらゆることが、経済の用語で語られる現代において、コストの観点からも、リスクの観点からも、子供ほど「割りに合わない」存在はない。
生まれてくる子供が、健康体である保証はないし、まして養育しても、まっとうに育つ保証があるわけでもない。
要は、合理化しすぎた社会と、予測不可能な存在である子供は、非常にソリがあわないのである。
それでも子供をもうける意味を見出せるか
皮肉なことに、現代の資本主義のロジックに馴染んだ賢い人間であればあるほど子供を持つことを躊躇することとなる。
キャピタルゲインも、インカムゲインも明確に期待できない、子供という不確実な存在が、どうして現在にそぐおうか。
骨の髄まで、合理的にものごとを考えることに染まった、現代人に「子育ての喜び」などを説いても、それは徒労に終わるだけではないか。
そもそも、なぜ子供をもうけるのか
子供という存在が、経済合理性の埒外であることはわかっていただけたと思う。
では、なぜまだ子供を所望する人々が存在するのか。彼らが単に、楽観的であるというのだけがその理由ではない気がする。
結論は、やはりシンプルなものとなるのだが、本能性に根ざした想いである。
純粋に今、自分の人生が楽しいと思えるなら、次世代にも同じ感覚を味わってもらいたいと考えるのは至極真っ当なことである。
だから、少子化対策は、的外れなことをせず、一にも二にも「今ここ」を楽しいと思える人を増やすのが先決ではないか。
これ以上、反出生主義を蔓延らせないために
刹那的・快楽的・近視眼的…全て、あまりいい意味とはとられない言葉だ。
しかし、少子化対策、いや人生そのものを考えたとき、このような考えた方を持つことが非常に重要な意味合いを帯びてくるのではないか。