子育ては農業に近い
今ではこのように言う人は少なくなったが、かつて子育ては農業の比喩として例えられていた。
種を撒き、土壌を整備し、適切に水と日光を与える。
しかし、それでも発芽するかしないかは、その植物次第である。
思えば、子育てもそのようなものだ。
適切に環境を整備し、あとは子供の自発性が芽生えるのを待つ。
親にできることなど、せいぜいそのくらいだ。
それがいつからか、紋切り型の「工業」が子育ての主流に取って代わった。
そこではまるで「仕様書」が付いているかのように、子供は「製品」として扱われる。
当然、障害をもった子どもや、勉強についていけない子どもは「不良品」として、工程からはじかれることとなる。
しかし、はっきりと言えば、子育てとはもっとランダムなものではないか。
先ほど述べたように、いくら良い肥料を与えても、いくら良い土を整えても、その「子」が発芽するか、しないかはわからない。
だが、それでいいのである。
それが人間、子供が育つということの本質なのだから。