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CLAMP作品における目の役割について

『CLAMP作品を読むと性癖を狂わされる。』
まことしやかに囁かれているこの言葉。
Twitterで「CLAMP 性癖」で検索すると、悩ましいながらも本当は特段別に困ってもないときにつくため息のようなつぶやきが日々生み出されているので、なるほど真実なのかもしれない。

そういう私もCLAMP作品を通ってきているので、何かしらの性癖を狂わされているのかなと頭を巡らしてみたところ、ひとつ思い当たるものがあった。

目である。

高校時代、生物の授業で最も好きだった分野は目の仕組み。大学時代、最も面白かった授業は目の錯覚。ちなみに文系です。

というわけで主に東京BABYLON、ツバサ、XXXHOLiCを通して目について語りたい。語らせてほしい。


①潰される目 〜東京BABYLON・ツバサ〜

思いっきり目が潰される。
しかも桜塚星史郎もファイさんも片目だけ。
目は視覚を司る部位だ。現実世界で起きていることは目を通して知覚される。目が潰されることが意味するのは、現在見ている世界の消失、そして異なる世界を知覚する契機なのだろう。やってみるとわかるが、片目だけで視る世界は両目で視る世界と全然違う。話の転換期に目が潰されるという事件が起きているところからみて、おそらくこれは意図的に描写しているのだと思う。

②渡される目 〜XXXHOLiC〜

正確にいうと、渡されるのは視る力だ。
四月一日は百目鬼のために自分の視る力を渡す。
大切な誰かが失った目のために自分の目を渡し、相手がその目を通して世界を見る。自分の一部を失ってでも助けたいという関係性をそこでみせる。そしてそこに切っても切れない、愛か、はたまた呪いかわからない繋がりを作る。読者はその繋がりに苦悶の表情を浮かべることになる。

③器としての目 〜ツバサ〜

ツバサではファイさんの魔力の源が目だったり、写身の小狼の目に呪文が仕込まれていたりする。
なぜ目なのか。心臓とか手の紋様とかでもいいのではないか。これは目だと虹彩の色で判別がつきやすかったり、①や②であげたような潰す、渡すといった動きがしやすい上に「死ぬまではいかない」という点があるのではないかと思う。だとしても見てるだけでも痛い。

物語の中でこんなに目が潰されたり、渡されたり、いろいろ力を持ったりしているの、CLAMP作品とあとNARUTOくらいな気がする。写輪眼も上3つの役割を果たしている。どちらも目の描き方と使い方が特徴的でおもしろい。

目ってものすごい繊細な作りをしていて、その仕組みも摩訶不思議で人間の体の中でも1番面白い部位だと思う。死角部分の補完機能とか桿体細胞と錐体細胞の分布による光の需要の違いとか、奥行きの知覚とか。
どんどん目を扱った漫画および本を生み出してほしいし、読みたい。
性癖なので。

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