流産が教えてくれたこと

昨年結婚した。そして、今年妊娠して、流産を経験した。もう事実はある程度受け止めているけれど、時々ふと「自分はまた妊娠できるのだろうか」「妊娠できたとして、きちんと妊娠を継続できるのだろうか」という不安が襲ってくる。きっと、この不安は、いつか子どもを自分で抱くまで消えないもの。でも、まずは今回自分がしたこの経験と、その経験を通して感じたことを忘れたくないと思って、記録に残しておくことにしました。

ただただ、自分の感情垂れ流しです。でも、流産をしたひとって自分からはなかなか話すことはないし、実際わたしも初期中の初期だったので夫以外にこの悲しい気持ちを話せるひとはいなかったので。同じ経験をしたひとに「ここにも同じ経験をしたひとはいるよ」と知ってもらえるきっかけになればいいなと思います。

うれしさ半分、戸惑い半分の妊娠発覚。

妊娠がわかったのは、3月の中旬。実は、今回の妊娠は「よし!妊活するぞ!」と思ってのことではありませんでした。たまたま、本当にたまたま偶然が重なって妊娠という結果になったのでした。もちろん、ふたりとも「いつか」とは思っていました。でも、新婚旅行がまだだったので、それが終わってからだろうな〜とお互いなんとなく思っていた感じです。

だから、陽性反応が出たときはうれしさ半分、戸惑い半分。でも、陽性反応が出た瞬間から、それはそれは愛おしく、年末には親になっている自分の姿を想像していました。

夫もそうだったようで、「新婚旅行まではと思ってたのに!」と言いながらもとっても喜んでいてくれていたようです。(結局、新婚旅行は妊娠と関わらずコロナでキャンセルしましたが。)後日談ですが、「子どもが生まれたら今の車では赤ちゃんが乗りづらいだろうから買い替えかな」とかいろいろと考えてくれていたみたい。

とにかく、タイミングはびっくりだったけど、わたしの妊娠生活が始まったのでした。

6人に1人、とは聞いていたけど。

病院で胎嚢が無事に確認でき、2週間後に心拍確認をしましょう。と先生に言われてから1週間とちょっと。相変わらずつわりらしいつわりはなかったけど、眠気と頻尿と胸のハリは妊娠を自覚するちょっと前から、ずっと続いていました。

わたしは、子宮筋腫を持っています。だから、もともと「不妊かもしれない」と思っていたし、今回産婦人科の先生には「流産や早産のリスクがある。だから心拍が確認できたあとは大きな病院で診てもらうように」とも言われていました。

でも、すぐ妊娠できたし、きっと奇跡の子だから、この妊娠は継続して、順調に生まれるのだろうな、と生まれ持った“なんとかなるさ”精神で呑気に考えて1週間くらい経った頃。夜中に目が覚めてトイレに行ったら、ティッシュにつく程度だったけど血が。鮮血って危ないのでは、と思ってドキドキ。え?なんで?と思って、検索魔になっては落ち込んだり、大丈夫と持ち直したり。本当に落ち着かなかったです。

週明け、待ちきれず電話をして産婦人科へ。そこで「心拍が確認できない。胎芽が5mmあるのに心拍が確認できないということは、流産の可能性が高いのもかもしれない」と。突然の宣告であまり理解が追いつかず、涙も出ませんでした。そのまま、手術前の血液検査、心電図・・言い方は悪いけど流れ作業のように検査を受けました。その間、どうしよう、夫になんて言おう・・・そんなことを考えながら、唯一思っていたのが「え?本当に?流産確定?」ってことでした。ネットで見ると、1週間後に見て判断とか多いのに…と。とにかく、呆気にとられすぎて、何も話せないまま、放心状態で帰宅しました。

この日撮影したエコーには、ギリギリ赤ちゃんの姿があります。まだ5mm、心臓も動く前だけど、それでもお腹にいてくれた証。夫は最初何も言わずに見ていたけど、あとから「かわいい、って思ったよ。何がなんだかもわからないのに」と言ってくれて、宝物のように何度も何度も、見てくれました。

手術前のエコーでは、赤ちゃんの形はもう溶け出して崩れていたので、このエコーを撮るまで、赤ちゃんは赤ちゃんの形を保ってくれていたのだな、と思います。

なんで、自分が?どうして?の繰り返し。

6〜7人に1人は流産をする。聞いたことがあるし、実際にまわりで流産をした友だちもいる。でも、いざ自分がなると、なんで?よりにもよって自分が?と思ってしまうものですね。流産宣告を受けてから、1人でボーッとしていたときに涙が止まらなくなりました。

何度も嘘だと思いたくて、奇跡を信じたくて、「流産宣告からの奇跡」「流産 ちがった」などなど・・いろいろなワードで検索していました。でも、心のどこかで無理だとわかりはじめてもいたので、生命保険のことを調べたり(笑)本当にぐちゃぐちゃの心理状態だったなぁと思います。夫は仕事をしつつ、空いた時間に様子を見に来ては、一緒に放心状態になって、落ち込んでくれました。

でも、いろんなひとの流産経験を見て、みんな言わないだけで同じ経験をしているひとはたくさんいる。そして、そこから妊娠して、今子どもを授かっているひとがいる、その事実に救われました。(それでも、今でもなんで?とは思ってはいるけど。多分これはずっと、なくならない気持ちだと思う。)

この経験が教えてくれた、3つのこと。

でも、妊娠と流産を経験したことで悲しいだけではなく、無駄じゃないと思えることもありました。

1.ふつうに妊娠して、生まれることの尊さを知った。
2.まわりの友だち、知人にかける言葉には気をつけようと思った。
3.夫婦の関係性が、より深くなった。

まず1つ目。まわりを見ればふつうに妊娠して、出産しているひとのほうが圧倒的に多いです。正直なところ、自分も一回で妊娠してラッキーだと思ってました。でもふつうに妊娠することも、ましてやそのまま順調に妊娠生活を送ることができるのも、当たり前じゃない。今回は7週目の壁が越えられなかったけど、その先に9週目、12週目の壁がある。もっと言えば、生まれるまで何があるかわからない。わかっていたはずのことを、強く、強く実感しました。あらためて夢だけ見ていた自分のほっぺたを殴られた気分。だからこそ、次にお腹に命がやってきてくれたときは、1日1日を噛み締めて、親になる準備をしていきたいなと思うことができました。

そして、2つめ。近くにわたしと同時期に、結婚出産を経験したひとがいます。そのひとに、「自分が妊娠してみてわかったけど、子どもは若いうちにつくったほうがいい(その人はわたしの8つ年上なので)」と言われました。もちろん相手に妊娠したことは言ってません。でも、軽く出た言葉だとしても、不安定な時期に言われるのはつらかった。若いからって子どもができやすいわけじゃないし、無事に妊娠を継続できる確率だって100%じゃないのに、と。だから、周りのひとと話すときは相手の立場も考えて、想像力を働かせて言葉を選びたいなと思いました。

最後に3つめ。夫婦の話ですが、「いつ」子どもをつくるか、という話をしたことがありませんでした。でも、今回のことがあって、ちゃんとお互いに子どもがほしいことやこれからのことを話すきっかけになりました。(逆に今まで話してなかったのがおかしいのかもしれないけど・・・。)それに何より、うれしいことだけじゃなく悲しいことも共有できたので、なんだか2人の関係性がより強くなった気がします。流産したかもと連絡したとき、流産が確定してしまったとき、手術のとき。すべてのときに、常にわたしのことを一番に考えてくれたこと。何があっても2人で生きていくから心配しないで、と言ってくれたこと。その一つひとつがすごくうれしかったです。

赤ちゃんが親を選んでいるとするならば。

わたしは胎内記憶の話をもともと読んでいました。赤ちゃんのほうが、あのママの子どもになりたい!と飛んでくる話。

それが本当なのであれば、きっと今回は突然すぎて赤ちゃんも急いできてしまったのかな、と思っています。何か忘れものをしちゃったのかな、と。

きっと、今日からの時間は、その忘れものを取りに行ってる間に夫婦でできなかったことをやっておいてね!と赤ちゃんがくれたもの。だから、次に赤ちゃんがくるまでに、2人でできていなかったことはしておきたい。新婚旅行に行って(今の状況ではわからないけど)、ウェディングフォトを撮る。この2つをしている間に、どうか、どうか忘れものを取りに戻った赤ちゃんが戻ってきてくれるといいなぁと、今は思えています。

赤ちゃん、わたしのお腹にきてくれてありがとう。次はちゃんと心も体も準備して、居心地のいい場所にしておくね。だから、また戻ってきてください。