ずっとほしかったもの

昨日想う事と今日想う事は少しどこかまた見方を変える。
価値観はそれだけ変化していくものだと思う。
婚活を始めるのに、理想の夫婦関係は?と聞かれた時。
私、「愛した分だけ愛してほしい。尽くし合える関係」と。
そう思ったけど。なんでだろう?と考える。
世の中にある全ての言葉は自分に当てはまるとは思っていない。
でも、もし自分はこれかもしれないと言語化された言葉を
見つけられたら心が少し軽くなるのも本当なのだと思う。
私は私の過去を振り返る事で見つけた本当に自分が欲しかったもの。
それは、母親からの行動がある愛情だったんだと。
となると、私はアダルトチルドレンなのだろうか?
愛されて育ってきたし、信じてくれていたと想っている。
それは変わりない。
でも、過去の話を振り返ると気付いてしまう。
家でしか泣けなかった。過呼吸の発作を起こすほど泣いていたと。
涙が出るように、自分の過去がフラッシュバックされる。
物心ついてから私は父や母に抱きしめられた経験があっただろうか?
手を握って、目を見つめてくれた日はあっただろうか?
愛されていないと感じたわけでない。これも事実。
30過ぎて母の子育てへの想いを聞いたことがある。
将来、外に出さないといけないから厳しく育てたと。
だから私はその通りに育った。外に出てもそれなりに常識はあるだろうし、
人に不快な想いはさせない。
周りをよくみてその人が欲しいものを求めるものを実践するのが得意だ。
不器用なのは感情を表出すること。
器用なのは他人求めるものを見つけること。
私が欲しかったものを手に入れるために。
記憶があるかぎりになるが、
母は怒るとき、私と向き合って目をみた事があったっけ?
抱きしめてくれた事あったっけ?と。
気付いた。私はお母さんに抱きしめてほしかったんだ・・・
高校生の時、色んな事があって確かに心が壊れてた時期がある。
部活が辛いからだとずっと信じてた。
でも、たぶん違ったんだ。
その状況を変えてほしかった訳じゃない。
辞めていいよと優しい言葉が欲しかった訳じゃない。
ただ、息が出来ないほど苦しい私を抱きしめてほしかった。
ただ、それだけだった。
ふと思う、人のぬくもりは触れないと感じないものなのだと。
頭ではわかっている。
愛されている事も自分を信じてくれることも。
私には、大した反抗期がなかったのは、
既にもう、嫌われたくないと想っていたんだろう。
今思うと母は完璧だった気がする。
私がどんなに試合でミスをしても母はいつも通り・・
私なら、うちの子がすいません・・と、
どこか申し訳なさそうに周りにふるまってしまうかもしれない。
寧ろそうであってくれたら、違ったのかもしれないと想う。
母も私と同じように未熟なのだと想えたら・・。

でもこれは、母にとっても抱きしめられたり、
愛を行動で示されるような親子関係がなかったんだろうと想像する。
じいちゃんもばあちゃんもだいすきだ。
ばーちゃんは仕事人だった。そんなに折り合いがよくないほう。
だから、早くに自立したしきっと甘えては生きてきてないだろう。
人はとても複雑だと思う。
私はここにたどり着くまでこんなに時間がかかったんだ・・。
父と目を合わせた記憶はあるのに、
母を目を合わせた記憶はない・・。
私がみていた自分の人生はいかに一面でしかなかったことに気付く。
母が父が悪い訳じゃない。
私が自分が欲しいものを欲しいと一番近くに居る人に一言も言わなかった。
いや、言えなかった。
「助けて」「抱きしめて」と口に出せたら違ったのかもしれないのに。
それでも、手に入らなかったかもしれない。

妹は私よりもっと我慢して生きてきたと想う。
典型的ないい子だと思う。
厳しさは確かに必要だと思うけど。
果たしてそんなに必要なのだろうか?
子は厳しく育てないと自律しないのだろうか?
そんな人生を歩んだことはないからわからないけれど、
両親がくれたものは、今の自分に素晴らしいものとして備わっている。
“ 愛した分だけ愛してほしい。 “
父は言葉より行動で愛を示す人だし、
母は見返りを求めず真心を真心で返す、返し過ぎる位の人だ。
だからだろうと思う。
愛してほしいなどと傲慢な事は言わない。
私が渡した分だけでいいから、返してほしいんだと。
涙が止まらなかった。
17歳の私がほしかったものは、触れられる人のぬくもり。
それと同時に私は両親の子供であるのだと
二人の心を半分もらっているのだと・・腑に落ちる。

そして、だから私は看護師になったんだとさえ思う。
人に触れるぬくもりが人の心を救う事を自分が一番求めていたから。
「 目で診て手で触れる 」
看護学生の時から言われてきた言葉。
手から伝わる愛情が人を救う事を自分が一番求めてたらから。
患者さんの手はそっと握れるのに、背中はそっとさすれるのに
両親には手を伸ばした事さえない。
自分は当たり前にもらうものだと想って生きてきたんだろう。
人と人との関係は自分の鏡なのだと嫌というほど言われた学生時代。
これは、私が母に求めなかったもので、
当たり前に母が与えてくれるものではない。
私は、常に人生受け身で生きてきたんだと思う。
何をしたら欲しいものをくれるのか?と。
でも人の欲しいものなど親であろうと友達であろうと彼氏であろうと
自分が言葉にしなければ誰も知らないのが当たり前なのだ。
自分を責める訳じゃなく、原因は自分でしかないのだとはっきり思う。
子は親を選べないと想うが、親も子を選べないのは変わらない。
親が当たり前にくれると思うのは間違いだ。
家族ってもっとなんかこう言葉に出来ないものだと想っていたけど
今ならわかる。
社会に出て付き合う会社の人や、友人、恋人・・・
人間関係は全て一緒なのだとすら思う。
我が家はただ、何があっても裏切らないということ。
両親の言葉が全て言葉の通りだった訳じゃないだろう。
言わない本音があるだろうし、言えない気持ちもきっとある。
苦しかったり辛かった事だってあったと想う。
でも私や兄弟、祖父母がどうであっても
両親は見捨てたり裏切りはしない。ただ、それだけが社会と違う。
私はいちばん近くに居る大切なひとに一番傲慢だった。
言わなくてもわかってくれると信じて疑わなかった。
そんな事ないのにね。

年末、実家に帰ったら無理やり両親にハグをしよう!笑
私は私の生きてきた過去も両親も家族も大好きです。
生まれ変わっても同じ人生をやっぱり生きようと想う。

お父さん、お母さん、一生懸命育ててくれてありがとう。

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