花明かり

花が舞い散り、夜なのに明るく見えることを季語で「花明かり」というらしい。

桜にまつわる季語は、どこか明るい様子のものが多い。

けれども桜にまつわる私の思い出は、そうでもない。

京都には花灯路という催しがある。もっぱら、ここ二年ほどは中止。かの厄介なCOVIT-19のせい。

大学に入学してから二週間ぐらいしか存続しないお昼ごはんをたべるためのグループみたいのがある。

みんな初めのクラスで友だちが出来始めると、誰からともなく集まらなくなる。

そうした(仮)の面々で遊びに出掛ける、などということは非常に稀なのだが、私にはその経験がある。

花灯路。

東山というと学生にはあまり用のない場所である。せいぜい八坂神社あたりまでが大学生には限界で、知恩院だの南禅寺だのと言われてもあまりピンとこないものだ。

けれども花灯路、となると別です。

知恩院のながいながい坂道に、一斉に灯籠が並べられ、そこへ夜桜など舞うのですから。

足もとを朗らかに照らす橙、照らされた横顔が少し幼くみえる。今夜、告白したなら、いつもの三割増しでOKを貰えそうな予感。

ん〜、花灯路マジック!!

さても、この魔法にかかることなくチーム(仮)で勇んで出掛けたわけだが、だれも彼も揃ってまだ十九歳や、そこら。

花より団子。

食っちゃ自撮り、食っちゃ自撮り。

さすが若いので坂道にこそ文句は言わぬが、風情だのなんのって、終始取るに足らないアレコレで笑い声をあげていた。

結局、例によって二週間も経つと(仮)は自然消滅した。

それから三年くらい経った頃にばったりと、そのうちの一人の男子に喫煙所で出くわしたが、くせっ毛のロン毛に、手入れされていない乾いた革ジャン、十字架が揺れるピアスが片耳にだけぶら下がっている彼の姿を見て、二秒で目を逸らしたのを覚えている。

それきり彼のことは見かけていない。


二度目の花灯路は大学で初めての彼氏と。(桜色の浮いた話がしたいのですが、、そう上手くはいきません。)

花灯路は東山だけのイベントではない。その年は、二条城周辺も朗らかに照らされていたので、世界遺産もアベックでごった返しである。

チーム(仮)の頃より少しだけ大人になっていた私は、相変わらず団子はしっかり買ったけれども、片手は彼の手を繋いで歩いた。

ミーハーでも、芸術と名の付くものには何かと触れてみたい性分の私です。

二条城の庭へ出っ張って設けられた舞台では、能が披露されていた。

お金を出して観に行くような伝統芸能を、思いもよらない場所で拝見できた時のラッキー感は大きい。

けれどもその時ばかりは気まずかった。彼のほうはまったく興味がなかったのだ。そこへ人混みが嫌いときたもんだから、、、

早く離れたほうがいい。

でも雅楽の音色が耳に心地よくてまだ観たい。

結局、「まだ見るん?」の一言で私はあっさり「ううん、もういいよ」と答えてしまう。

今ならきっと「私まだ見たいから、興味なかったら煙草でも吸っといで」と言えるだろう。

なにより、もう煙草を吸う人とは一緒に来たくないのだけれど。


さて、

花灯路にまつわる淡くも濃くもない私の思い出。もう記憶のかなり後ろのほうに薄ぼんやり仕舞われている。出番はきっともうないので、手放してしまってもいいのだが。

花や山が笑い出すこの季節になると、ふと昔のことを思い出す雨の夜があったりする。

もう所々モノクロになってしまったような名前も思い出せないあの人との記憶なんかを引っ張り出してみると、意外と自分は変わらないなぁと思ったりする。

そして、またいつか行かなきゃなぁ、、と義務的に思うくらいの場所にはもう行かないでいいことに気づく。


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