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ムーミン本 読み方のすすめ②:順番に読む(パート2)

ムーミンの本9冊をおすすめする文章を何回か書く予定です。
前回、全部読める人は順番に読むべし!と書き、6冊目『ムーミン谷の冬』までの流れを簡単に紹介しました。今回は7~9作目を続けてを読むポイントを紹介します。

パート1のおさらい

1~5作目では、災難が生じて解消されて安全に至ることが物語のキーポイントです。このハッピーエンドまでの流れは、ムーミンの作者であるトーベ・ヤンソンの考える「子どもの世界」の表現です。しかしながら、作品を経るごとに、災難はあまり怖いものではなくなり、同時に安全の意味も弱くなっています。6作目『ムーミン谷の冬』で、冬は「見せかけの災難」になっています。ネタバレにならない程度に簡単に書くと、ムーミントロールは、いつもは冬眠するのですが目覚めて冬眠に戻れなくなったことで初めて冬を経験し、春から秋とは異なる気候や冬特有の生き物について知ります。未経験の冬は、初めはムーミントロールにとって非常に恐ろしい状況で、災難のように感じられます。しかし、終盤に春を迎える時には、冬は「なくなって良かった災難」というよりも、ムーミントロールが「性質を理解する対象」になっていることがわかります。

詳しくはこちらで↓

「子どもの世界」の以後のムーミンの本では何が描かれたのか?

7~9作目、『ムーミン谷の仲間たち』『ムーミンパパ海へいく』『ムーミン谷の十一月』の3冊では取り立てて災難と呼べるものはなく、「子どもの世界」の特徴がなくなってしまいます。

災難と安全の役割が弱まると、登場人物の内面の問題が詳しく描かれるようになりました。内面の問題には「理解」が関わっています。『ムーミン谷の冬』では、ムーミントロールが冬を経験し「理解」しました。この「理解」が「子どもの世界」以後のムーミンの物語に共通して描かれています。

自分や他人を理解すること/理解しないこと

『ムーミン谷の仲間たち』『ムーミンパパ海へいく』『ムーミン谷の十一月』では悩みを持った人たち(人ではないけど)が登場します。7作目『ムーミン谷の仲間たち』は短編集で、8作目『ムーミンパパ海へいく』9作目『ムーミン谷の十一月』では焦点化される人物が複数いますので、たくさんの悩みが書かれています。

彼らの悩みは自分のことや他人のことです。自分を理解したり、他人を理解したり、自分を理解してほしいともがいたりし、悩みが解消される過程がさまざまに描かれているのが最後の3作に共通する特徴となっています。誰が誰を理解しようとしているのか、またその結果はどうなったのか、という点に着目して読むと、登場人物たちの気持ちやその変化が見えてきます。

「理解」とは?

「理解」を軸に私は修士論文を書きましたが、「理解」ってすごく難しい。修論では細かくは触れていません。たぶん、自分を完全に理解することはできないし、誰かに自分を完全に理解してもらうこともできない。まして、他人を理解することは完全にはできないだろうな、というのが本心です。私がここで言う「理解」の意味の範囲は、「主体になる人物が納得すること」を指します。「理解したと思い込んでいる」場合も「理解」ということにします。ちょっと何言ってるかわからないな、という場合は深く考えず次の項目へお進みください…。

『ムーミン谷の冬』から『ムーミン谷の十一月』までの「理解」の変化を見る


7~9作目を順番に読むと何がいいのか。話がつながっているかということではなく、登場人物の心情の描かれ方の変化(うまく言えていない気がする…)について、きれいに分けることは難しいのですが、心情描写がぼんやりしたものからはっきりとした表現に徐々に変わっていることがわかります。

例を簡単に提示するために、私の修士論文を二か所引用します。

まず、7作目『ムーミン谷の仲間たち』「世界でいちばんさいごのりゅう」のムーミントロールの描写を6作目『ムーミン谷の冬』と比較してみると以下のようなことがわかります。

ムーミントロールの竜に対する心情の変化をまとめると、彼は言葉を話さない竜の態度に接し、竜がスナフキンにのみ好意を寄せていると理解したことによって、竜を飼うことをあきらめ、手放すことを決断した。こうしたことから、彼は他者理解の結果として、自己が他者に対してどうふるまうべきかを理解することに到達している、と読み取ることができる。
さらに、ムーミントロールのここでの理解は、『ムーミン谷の冬』における彼のご先祖に対する理解の発展として見ることもできる。前作では、ムーミントロールは他者と距離を置くべきと判断したものの、相手の様子を観察し続けていたが、今作では、スナフキンの発言に同意するとともに「にげてしまって、それでいいんだろうね」と発言し、さらにこの後は竜について話す、考える、探す、といったことをせず、関わることのできない他者と完全に距離を置いている。このように、ムーミントロールが好意を寄せている相手から距離を置かねばならない場合があることをより明確に認識したことが彼の言動からわかる。

今度は、8作目『ムーミンパパ海へいく』と7作目『ムーミン谷の仲間たち』の「ニョロニョロのひみつ」のムーミンパパの描写を比べてみます。

『ムーミン谷の仲間たち』の「ニョロニョロのひみつ」でも海へ出るモチーフによってムーミンパパが自己理解に至る。それは、ニョロニョロの性質との差異を理解し「自分がどうあるべきか」を理解する、という内容である。「ニョロニョロのひみつ」でムーミンパパは「自分がとびださなくてはならない」理由が「わからなかった」が、『ムーミンパパ海へいく』において海へ出る理由は一家の主である自身が決断すべきことを家族に決められたことで存在価値を失ったことであり、経緯がより明確に提示されている。

このように、「理解」の表現に変容を見ることができます。

ムーミンにおける「理解」の特徴:理解しても、理解しなくてもいい。

ムーミンの物語の中で表現される「理解」「不理解」で重要なことは、理解しても理解しなくても、ハッピーエンドになることです。この点は、後半の作品で色濃く現れていますが、災難が中心になる前半の作品に対しても言えることです。悩んだ結果、変わってもいいし、変わらなくてもいいことがムーミンの本を読む時の居心地の良さになっているのではないかと思います。登場人物が理解すれば自分にとっても励みになり、理解しなければそのままの自分でもいいのかなと思います。教訓っぽい感じはありません。

『ムーミンパパ海へいく』と『ムーミン谷の十一月』の関連もポイント

物語自体の関連について最後に触れておきます。そもそも、ムーミンの本は作品ごとの関連が少なく、一部の登場人物や舞台は同じであるにしても、別々の作品のようです。しかし、『ムーミンパパ海へいく』でムーミン谷を離れた一家の物語と『ムーミン谷の十一月』でムーミン一家のいない谷に集まる6人の物語は、同じ時間の違う場所を描いており、『ムーミン谷の十一月』の最後でほんの少しだけ重なります。ムーミン一家はムーミン一家で悩んでいて、一方でムーミン谷では別の人たちが悩んでいる、そうてどうなるのか…この2冊は絶対続けて読んだ方がいいです!!!

次はどれか一つの作品について書いてみようと考えています。

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