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研究ノート「日本におけるトーベ・ヤンソンおよびムーミン研究の動向」を書きました。

ムーミンの1作目『小さなトロールと大きな洪水』は1945年に刊行されたので、今年はムーミン75周年です。

何もしない1年にしたくないと悩んでいたところ、機会に恵まれ、学術誌『北欧史研究』第37号に研究ノート「日本におけるトーベ・ヤンソンおよびムーミン研究の動向」を掲載させていただきました。

つい昨日発送作業をしたそうなので、前号までが所蔵されている大学などにはそのうち入るのかな、と思います。無許可で転載できないので、ここでは簡単に内容を紹介します。

ざっくり内容紹介

まさにこの学術誌『北欧史研究』にて、2010年に北川美由季さんという方が、研究ノート「スナフキンのモデルについての考察(1)―「ムーミン」論に現れた先行研究諸例の検討―」で、当時までのトーベ・ヤンソンおよびムーミン研究の経緯をまとめ、日本における研究を批判的に紹介なさいました。(『北欧史研究』第27巻、バルト=スカンディナヴィア研究会、2010)

この論を元に、この時から10年で日本の研究はどのように進んだかを書きました。2010年から2020年までの資料を紹介したうえで、各資料に共通するテーマを整理し、それから私の考えを述べています。

詳細はいずれ書ければと思うのですが、今回は結論を中心に紹介します。

ヤンソンは、芸術家の両親のもとで生まれた芸術家であること、言語的少数派であること(スウェーデン語を母語とするフィンランド人)、パートナーが女性であったこと※など、多くの特殊な側面があります。そのことが作品にも大きな影響を与えています。さまざまな特殊性を議論していくことはヤンソン研究における重要な視点であり、国内外で議論が進められてきました。

※追記:研究ノート本文では、北川氏の研究ノートおよび彼女が引用する本『Tove jansson rediscovered』に合わせて「レズビアン」と表記しています。しかし、ヤンソンを「レズビアン」と断言はできかねます。研究ノートではセクシュアリティの問題に触れることはしなかったので断りなくそのまま「レズビアン」と書きましたが、ここでは「パートナーが女性であった」と書くことにしました。

以下の2冊の評伝では、異なる視点からヤンソンを知ることができます。

ボエル・ウェスティン著『トーベ・ヤンソン―仕事、愛、ムーミン』: 
ヤンソンの仕事を中心に据え、その時々でヤンソンが物事をどのよう
に捉え、どのように感じたか。画家・作家としての仕事がヤンソンにとって重要なものだった。ヤンソンが自由と自立重視したことに着目。

トゥーラ・カルヤライネン著『ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン』:ヤンソンの周囲の人物とヤンソンとの関係。彼女の生きた時代の社会的・文化的価値観の中でのヤンソンの価値観や作品の社会的・芸術的位置づけ。作品の主題や手法の考察

さて、ヤンソンおよび彼女の作品に特殊性があるいっぽうで、ムーミンをはじめとするヤンソンの作品は言語や文化の枠組みを超えて多くの人々に読まれており、普遍的な側面もあるといえます。なかでも、他の研究でも言及されている「他者との関係性」の問題は、作品が書かれた時代のみならず現代にも通ずる普遍的なテーマとして、ヤンソンの作品に現れていますヤンソンの特殊性を議論しながら、普遍性の議論を深めることでヤンソンとムーミンの研究はより発展するのではないかと私は考えています。

執筆の経緯と結び

7月半ばに、学術誌の編集委員の先生より、感染症拡大の影響で原稿が予定通り集まらないため「書評・資料紹介・研究ノート・その他研究テーマに関するアイデア的試論」を募集する、というご連絡を受けました。締切は約2か月後だったので、短期間で書けるもの、今後のトーベ・ヤンソンとムーミンの研究に役立つもの、と考えてこのような内容にしました。

私自身は臆病者ですが、書いたものは多くの人に読んでもらいたいです。私は誰かの踏み台になりたいし、私自身もこの時点の私を越えたいです。修士論文から5年たち、ようやく少し進むことができました。

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