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トーベ・ヤンソン自選短篇集『メッセージ』の感想を全編書く!!【1回目「我が愛しき叔父たち」】

私の前座を私がつとめます。『メッセージ』の感想を私から私への夏休みの宿題にしたのですが、1回目からつまずき、9月になってしまいました(登場人物、全部私)。前回の「まえがき」の感想に続き、今回もちょっと肩ひじを張ってしまったような…。徐々に力を抜いていけたらと思っています。以下、肩バッキバキの感想です。

「我が愛しき叔父たち」感想

「我が愛しき叔父たち」は、ヤンソンの母方の6人兄弟のうち、4人の叔父について書かれており、15歳の時にヤンソンが叔父の一人エイナルの家に下宿したころの出来事が中心になっている。

ヤンソンの叔父たちはみな手先が器用だったが、それぞれが異なる才能を生かした職業に就き、興味関心もそれぞれに異なった。たとえば、医科学の教授だったエイナル叔父は、「伝統を一切無視」して南アフリカでクリスマスを過ごした。ヤンソンが言うには、彼の撮影した映写機の映像は「当時の技術を考えれば非常に高度」だったそうだ。また、数学講師でヨットマン、スキー選手、登山家でもあった末っ子のハラルド叔父は市や音楽に造詣が深かった。ヤンソンいわく、彼は歌がうまく、彼が入浴中に歌うところを外から聞き、歌詞を書き留めたこともあったと言う。鉱山技師のトシュテン叔父は自分で家を建て、生物学講師のオーロフ叔父は木のボートを作ることができた。叔父たちの生き方は多彩な芸術家となるヤンソンにさまざまな影響をもたらしたのだろう。作中では、ハラルド叔父の航海日誌の表紙を描いたことに触れられており、彼女自身の才能を発揮しながら叔父と関わることもあったようだ。

ヤンソンは叔父たちの経歴や性格をよく知っており、またよく観察していたようだ。下宿先だったエイナル叔父とその家族の話が軸にあり、最後は彼と「同じ方向に成長したい」と結ばれてはいるものの、4人の叔父について偏りなく記述されている。オーロフ叔父が無神論者で宗教の議論の時にはいなくなること、ハラルド叔父が年齢以上に歳を取って気弱になったことなど、叔父たちの細かな様子や変化をよく見ていたことがわかる描写が随所に見られた。

内容以外で、作品の日本語訳が気になった。この短編集は、久山葉子氏によるもので、この短編の語り手の調子は、誰かに語り掛けるような言葉遣いになっている。たとえば語尾をいくつか取り出してみると、「~なったんです」「~かしらね」「~だったんだから」「~みたいだし」「~しまったの」などが使われており、少女が語っているような印象を受ける。

これまで多くのヤンソンの作品を訳してきた冨原眞弓氏は、硬い言葉を使っており、私はそちらの調子に慣れていたので、少し戸惑ってしまった。

やわらかい言葉を使うと若い女性の視点で、書かれている印象になり、最近の出来事や少し前の出来事が等身大の目線で語られているように感じる。硬い言葉を使うと大人が若いころを思い出して書いている印象になり、過去の出来事を冷静に見つめているように受け取れる。

『メッセージ』の中の他の短編でも、自伝的な作品を中心にやわらかい言葉と語りかけるような言い回しで訳されているものがあり、冨原氏が以前訳したことのある作品もあるので、その場合は比較したり、また原文も参照したりしながら読むことにする。

現段階では、どういう翻訳がヤンソンの作品に合っているかというような価値判断はできない。もしかしたら、優劣はないのかもしれない。価値判断のために比較するわけではない。ヤンソンへのイメージを決めつけたり、先入観にとらわれたりしないように頭をほぐしながら読み進めようと思う。


▽前回:まえがきの感想


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