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書評・「科学的」は武器になる 〜世界を生き抜くための思考法〜

 あまり身の上の話は得意ではないのだが、きょうはしてみようと思う。
 七年ほど前、毎日ホールで行われたトークイベントで、早野龍五先生とお会いした。Twitterでは散々一方的にお世話になっていたのだが、お会いするのは初めてだった。
 ツイートに滲み出る、実直で飾らないお人柄そのままの和装紳士に、初対面という気があまりしなかったのは、SNS特有の距離感のせいだろうか。
 イベント後の交流会で、以前からTwitterで見せびらかしていたブロニカ(レトロカメラ)を持参し、先生に説明も何もなしにフィルムを装填し撮影していただくという、今思えば頭に穴開けて水を溜めてその中に飛び込みたくなるような無茶振りをしてしまった。
 しかしそこはカメラ小僧の血が燃えたか、初対面の6x6判をあっちゃ捻ってこっちゃ開け。同席したカメラマンも巻き込んでビールそっちのけではまり込み、見事ノーヒントで撮影に成功した。(いや結構すごいんですよこれ)
 それまで東大の教授といえば、杓子定規か四角四面かというような人物を想像していた私には、四角四面のブロニカに目を輝かせる早野先生の御姿が新鮮であると同時に、何かを極めた人は面白い人になるんだなあと、いっちょまえな感想を抱いた。

 おそらく早野先生初の単独出版である。とはいえ専門的な話は皆無で、小難しい話も多少顔を覗かせる程度。先生の半生を語りつつ広がる様子は、講義ではなく講演を読んでいるような一冊だ。
 表題にあるように「科学的」というと、融通の利かない堅苦しさを感じる人も多かろう。しかしその融通の利かなさこそが、時代や主義思想に阿らない指針となる。りんごは引力に従い落ちるが、誰かに頼まれて木に登りはしないのだ。
 もちろん非科学的な思考や、わかっちゃいるけどやめられないという人間的動向を否定するものではない。そうなる前に、なってしまった時に、その指針としての科学を先生は奨励してくれる。

 私を含め大多数の方がそうだろうが、早野先生の名を一躍世に広めることとなったあの震災の時、先生に寄せられた言葉の中に「あなたは今、本当に東京にいますか?」というものが多くあったという。
 心臓が鳴った。
 当時私も先生のことを存じ上げていたが、私が先生をフォローしたのは、震災からだいぶ後になってからだった。理由はまさに、この言葉を吐いてしまいそうな自分がいたからである。
 あの溢れかえる情報と噂の中で、淡々と客観的データを並べ、そこから導き出せる科学的結論だけをツイートされていた先生は、噂や主義思想を湛えたそれとは一線を画していた。
 だが同時に、精神的に滅入ってきていたあの時に、そうした人物にあまり近寄りすぎると、自分はきっと寄りかかりすぎてしまうだろうという予感もあったのだ。
 だから私は、暫しそうしたツイートはリツイートされてくるままに任せ、万惣のホットケーキの話題がTLに顔を覗かせたあたりから、謹んでフォローさせていただいた。
 そして今、その言葉を投げかけられた先生の心境を慮ると、また心臓が鳴る思いがするのだ。

 誤解がないようにいうが、先生にそう言った人たちの気持ちを否定する気はない。私もそうであったのだから。
 だがそうした「誰かの後ろに並ぶ」という判断基準は、それが間違っていた時に、並んだ相手を微塵も恨まないという、究極的覚悟が必要なことであり、私はそこまでの覚悟を自分に課せられなかったというだけの話である。

 あれから十年。情報は依然速度と量を増し、求める前に降ってくるようになった。その中での取捨選択の指針と手段を、本書はそっと覗かせる。
 科学は指南である。
 南はこっちだよと教えはするが、そっちに行けとは決して言わない。どっちに行くか、どう行くかは人にしか決められない。文中登場する早野先生の大恩師も、恐らく指南者であったのではないだろうか。そして先生も今、そうあろうとされているらしい。
 私が交流会でブロニカと格闘する先生を何も言わずに眺めていたのも、そんな気持ちがあったからです。

……たぶん。^^;

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