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月はどっちに出ている


この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

 平安時代、娘三人を皇后にし「一家三后」と驚嘆された公卿、藤原道長は、3人目の立后の祝宴の席で上の歌を詠んだ。
 自らも摂政や太政大臣を歴任し、出家後は壮大な寺を建立するなど権勢を誇った男ならではの、自信と誇りに満ちた歌として知られている。
 こういう事は調べる方もいるようで、明石市立天文科学館の井上館長によれば、この歌が詠まれた寛仁2年10月16日は、確かに満月であったそう。


 この日は新暦に直すと11月26日。道長が酔った夜が近い。今年は満月とはならぬようだが、景気の良い話の少ない昨今、我が世の春を謳歌した「御堂関白」のご相伴に預かりたい気分である。

 6年ぶりの新ハードは丸く出ただろうか。待望のPS5の出足が怪しい。
 週刊ファミ通の調べによると、PS5の初日4日間の出荷台数は11万8085台と、先代PS4が発売わずか二日で記録した32万2083台を大きく下回った(以下販売台数は特記なき場合はファミ通調べ)。
 ロンチにしては上々ではと言いたいが、同じ週のNintendo Switchの販売台数11万6267台と競り合う様は、天下の新ハードの船出には寂し過ぎよう。
 無論この数字が、今後のPS5の趨勢を決するものではないことは承知している。
 だが『日本生まれのハードウェアの5世代目の初週台数』として考えると、むしろSIE自身が勢いを削いでいる様さえ透けて見えるのだ。

 2020年9月現在、PS4の世界累計販売台数は1億1350万台と、PS3の8740万台を超えている(いずれもSIE発表)。
 が、国内販売台数は920万台に留まり、PS2(2198万台)はもとより、PS3(1027万台)にも届かなかった。
 Bloombergによれば、事実上これがSIE北米本社の不興を買い、ただでさえ北米の3割にも満たなかった日本市場への興味を喪失させたという。
[Microsoft Sets Sights on Sony’s Home Turf in Console Clash - Bloomberg]
 現在ソニーのゲーム部門を掌握するソニー・インタラクティブエンタテインメントLLCは、2016年4月にソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)とソニー・ネットワークエンタテインメントインターナショナル(SNEI)の機能を統合する形で設立。本社を品川からカリフォルニアに移している。
 2019年4月、PS初期から欧州法人で活躍してきたジム・ライアンが社長兼CEOに就任。半年後の10月、PS5の誕生を発表する。
 単独で4兆4000億円、世界市場の3割となる北米市場に軸足を置く事は、ソニーにとって当然の選択といえよう。
 加えてPS4における900万台の「低調」は、SIEの視点をより欧米に注視させるのに十分であったはずだ。

 無論こうした向きを、SIEの広報はきっぱり否定する。PS5が日本で最初に発売される事からもわかるように、私たちのホームマーケットが最も重要であることに変わりはない、と。
 確かに、北米から3ヶ月遅れて発売されたPS4の時と比べれば、同時発売は僥倖といっていい。だがそこに来てこの台数を見ると、この言を素直に聞き入れられなくなるのは、私だけではないはずだ。あの苛烈な予約争奪戦を見て、日本はこの数で十分などと考えられる筈がない。
 やはり国内の品薄は、日本市場が事実上SIEに見限られた証左だろうか?残念ながら品薄の理由はそれだけではなさそうである。

 Bloombergは今年9月、ソニーがPS5の2021年3月期における生産台数を大幅に下方修正していると報じた。
[ソニー、PS5生産台数を400万台削減、チップ生産苦慮-関係者 - Bloomberg]
 技術的な委細は他所に譲るが、いわゆる可変CPUを中心とした専用設計の集積回路の生産歩留まりが安定しないことなどが影響しているという。
『分進日歩』の情報技術において、PCなどと違い、機能的付加を後から付けずらいコンシューマーハードは、最初の性能が全てといっていい。一期でも長く「先端」であり続けられる性能を載せて送り出したいと思うのは、メーカーのみならずユーザーも願うところだろう。
 が、その意欲的な施策は、当然危険を孕む諸刃の剣である。ゲーム同様、安定した生産には経験値が必要なのだ。すなわち、SIEは高性能なハードを量産する力が「まだ」ないうちにロンチに踏み切ったため、世界的な品薄を起こしてしまったというのだ。

 さらに市場飢餓に拍車をかけてしまったのが、SIEが公式で行った予約手法である。
 国内では、SonyIDでの購入履歴から抽選権を発給し、北米では「PlayStationに対する過去の興味と活動に基づく」選考から招待状を送り、先着順で予約を行なった。
 一見転売目的の過剰な争奪戦を抑える良策に見えるが、結局のところ多くのIDを持ち、普段から頻繁に購入している転売者に利する結果になるのは明らかである。コロナ禍で対面販売が難しくなったことも一因とはいえ、他に名案も浮かばないのが悔しい。

 そもそも、PS5の発売がこの時期である必要は本当にあっのだろうか。安定供給が少しでも見越せるまで待てなかった理由は何か?
 国内では大きく水があくものの、世界的に見てXboxの市場は、PS陣営のライバルとして十分な存在感を与えている。マイクロソフトはXboxの販売台数を公にはしていないが、両者には数千万台の開きがあるという予測もある。

 数千万台というと大きく見えるが、実売数を比較すれば、PS4の販売数の37%が、Xboxの販売数ということだ。
 また論拠になるかは難しいが、北米でPS3はXbox360の1年後にリリースされたが、PS4はXboxONEの7日前にリリースされた。そしてロンチで言えば、XboxONEはPS4に肉薄していた。

 今回もXboxに先行を許すくらいなら、供給力を犠牲にしてでも消費者の食指をこちらに向かわせたいという考えは、SIEになかっただろうか。

 やや邪推が混じったが、理由はどうあれさすがに今回はSIEの早計と断じざるを得ない。本稿を執筆している現在、北米での初週販売数は入ってきていないが、この品薄が本当に世界規模のものだとしたら、ロンチの恐ろしさを舐めすぎている。
(ここまでやっているとしたら本当に品薄なのだろう↓)
[ソニー、中国生産のPS5を米国へ空輸 1台あたり約1万8000円の損失も | 36Kr Japan | ]
 流通の仕組みが消費者の手に渡ってしまった(転売のことである)現代、品薄とプレミア価格は、消費者の心証を悪化させていくばかりの悪習でしかない。
 小売店においては、そんな「売られていない」ハードのためには、ソフトはおろか周辺機器の確保と陳列にさえ二の足を踏まざるを得ない。国内で2万台確保できた小売りがいないという「噂話」を聞いた時は血の気が引いた。
 さらにまずいことに、ソフトウェアメーカーでさえPS5を買えていないという。
 誤解されがちだが、開発用のPS5は市販のそれとは別物であり(というより開発はPCでするので本体はあまり必要ない)、業界の人間とて自力で確保しなければならない。個人的に楽しむ分は自己責任だが、サポートセンターでの不具合再現用の機械や、PRイベント用のものさえないと聞けば、さてこれを笑っていられるだろうか。

 初期供給不足の回復は容易ではない。ハードウェアのみならず、こうした周辺の影響も回復させなくてはならないからだ。
 それでもこの時期のリリースに踏み切ったSIEにあったのは、先行されることへの焦りなのか、はたまたそんな初手の傷は巻き返せるという考えか。後者だとしたら「慢心」と言わせてもらいたい。

「すべてのゲームはここに集まる」
 キャッチコピーの鼻息も荒くコンシューマーゲーム市場に乗り出したソニーは、任天堂一強の世界に挑む挑戦者だった。望月が如き大きな丸をあしらったゲーム機は、その後その言葉を実現するように覇権を広げていった。
 販売台数が一億台を超えるハードを三機種も擁する「一家三億」のメーカーは、任天堂とソニーしかいない。しかもソニーは据え置き機だけでそれを成している。
 成せた理由を考えず、栄華に胡座をかいてはいないか。加州関白殿に一度自問願いたい。

 そんな中、間も無く迎えるクリスマスは、一年で最大の商戦期だが、かつて北米最強のゲーム機が跡形もなく消し飛んだ時でもある。欠けることのなきよう祈る。

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