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ガツンと聞くことないじゃない

 同僚と大衆酒場を訪れた会社員、伊藤正之(37)は軒昂と語る。
「グローバルとかなんとか言ってるけどさァ、日本ってやっぱ世界で舐められてるじゃない?いっぺんガツンと言ってやんなきゃ駄目よあいつらに」
 捲し立てつつ、眼鏡をはずしておしぼりで顔をふきながら続ける。
「俺だったら言っちゃうよ?ガツンと言っちゃうよ?俺そういうタイプだから」
 拭き終えたおしぼりを投げ、眼鏡をかけ直す。と、そこには合衆国大統領が座っている。
『じゃあ、キミの率直な意見を聞こうじゃないか』
 後ろには通訳。場所もなぜかホワイトハウスらしき場所に。大統領が伊藤に促す。
「Tell me Gatun!」
 一瞬蒼白になる伊藤。が、懐に手を入れ、意を決したように缶コーヒーを取り出し呷る。
 懐かしい方も多かろう。サントリーの缶コーヒー『BOSS7』のCMである。放送は1988年。Twitter誕生の8年も前だ。
 現実がCMを超える世界がやってきた。全ての人は放送局となり、政治家の演説も企業の公式発表も個人の愚痴もマックの女子高生の会話も、一瞬で世界を駆け巡るようになった。
 酒場での同僚相手の意気軒昂な政治姿勢を、そのまま国際会議の場に持って行ける人間は稀有であろうが、システムがそれをCMの如く強制する時代でもある。


 小生が敬愛するクリエイター、松山洋氏のツイートがまたも波紋を広げたようだ。ゲームの中古販売に対する氏の経験と意見である。

 氏の率いるサイバーコネクトツー社(CC2)初の自社パブリッシングタイトル『戦場のフーガ』が、ダウンロード専売であることとも繋がった話だろう。
 パッケージ商品とDL専売との決定的な違いでもある、物質としての商品の有無は、すなわち消費者の手元に渡った後のなり振りを変える。
 絶版や権利者の倒産、製作者の逝去や引退により、新規の品物が市場に出回らなくなったものを、不要になった所有者から欲しいと願う消費者に繋ぐ古物商は、古来から文化継承の毛細血管のように、小さくも不可欠な存在として受け継がれてきた。
 ゲームや音楽のような情報をパッケージスタイルで販売する商品は、手軽かつ需要も多いことから、自動車や書籍のような、中古売買の専門チェーン店が存在する。が、近年個人が放送局なみの情報の受発信を可能にすると、古物商を介さない直接取引が拡大してきた。
 氏はそのシステムそのものを否定してはいない。要点は、そのコンテンツを産む側が中古売買を前提に動いてはいかんだろう。ということだ。
 中古売買は先述の通り、文化や物品の継承と保存に繋がる最終的手段といえる。が、製作者への経済的メリットは一文もない。安いソフトが出回ればユーザーの裾野が広がるという意見もあるが、ならばメーカーは中古市場への流出分を加味しつつ自社の利益を守るため、ソフトの価格を上げざるを得なくなる。結果新品購入者の手は遠のき、中古市場への流出分も激減するという悪循環を生むだけだ。
 製作者も消費者も、目先の金銭の流ればかり見てはいないだろうか?

 と、このツイートが意外な方向へ飛び火したらしい。

 氏は業界でも名うてのヒット……もとい、ホットマンである。その力をぜひ借りたいと考える管理職や育成役は少なくなかろう。
 だが本来……というか論ずるまでもなく、そういったことは自社の時間と責任を割いて行うものだ。他チームの監督に自チームの指南を任せる監督やコーチが、どれだけ惨めったらしいか想像してみて欲しい。
 上記のツイートに連なる続きでは、氏がそれでも教育を任せるつもりならと言って、真っ暗な会議室で氏と対象者とを全裸で二人きりにして1時間幽閉させますという、かーなーりー独特な教育方法を詳らかにしている。


 さて毎度長い枕でおなじみの小欄だが、本日の本題はここからである。
 この教育方法に対して「時代錯誤甚だしい、業界の品位も落とすお寒いウケ狙い」という批判が相次いでみられたのだ。
 驚いたのは、まさかそのツイートを本気にする人がいると思わなかったことと、本気で怒る人に届いてしまったことだ。

 氏は業界でも名うてのカット……もとい、ホットマンである。かつて納期の問題から、全責任と謝罪の意を表するべく、眉毛と髪の毛をすべて剃ったこともあった。なので今回の全裸談義の提案も、私の中では「またまたァ」と苦笑して終わっていた。
 が、その発言そのものを取り沙汰し、感覚が昭和だなんだと喚く若人が確認できた事に、私はネットの副作用を見たのだ。
 氏の発言は、いわば大衆居酒屋で席を共にした者への叱咤だ。それだけ近しい人間なら、氏が言わんとしている末尾のツイートの意味だけがしっかり伝わり、全裸談義はその味付けにすぎない事は説明する必要もないだろう。

 全裸談義について怒っている人は、いわばこの席に招かれることも近づくこともない、本来ホワイトハウスで語らうものたちと同じくらい、年齢的にも価値観的にも距離がある人々なのだ。
 だがそこがネットの便利な不便。大衆酒場とホワイトハウスを一瞬で繋いでしまうその性格上、こうして聞こえないはずの声を轟かせてしまうのだ。

 近年よく耳にするコンプライアンスとは、本来は法令遵守。特に企業活動において社会規範に反することなく、公正公平に業務遂行することをいう。
 言われるまでもなく、個人も法人もそうあるべきだろう。が、ガス抜きに来た酒場の会話にまでそれを求めるのは正しいのだろうか?それだと今度は、コンプライアンスの合わない世代を排斥する運動になるだけではないだろうか。見えるもの聞こえる声を全て浄化した挙句、牛丼屋で三つ星級の店のマナーを要求して何になるだろう。

 解決策ならある。否、皆知っている。スルーでいいのだ。酒場で後ろの席から自分が嫌いな野球チームのファンの歓声がしても、皆そういう時は苦笑いしつつ、ウーロンハイをちびりと飲みながら、同じ席の仲間同士で「まぁ……今シーズンはねw」と笑って済ませているだろう。いちいち絡みに行くには相当酒の力がいる。
 価値観が合わないと感じたら、かわしてしまえばいいのだ。そういう会話は通じるべき人間には通じたい形で通じているだけだ。

 重ねて言うが氏の発言に対するお怒りは理解できる。だがそれをいちいち怒髪衝天と書き連ね世間に晒すことは、悪女と評される女に世界を敵に回しても味方すると言った彼氏に対し、会見で謝罪を要求しハリヤーで応戦する国家元首らと同じくらいみっともないとは思わないだろうか?

 それにしてもSNSは世界の広さを持つわりに、こうした問題はせせこましく続くものだ。もっとゆとりある心でスマホを眺めてはどうだろう?そんなこと言ったら私が若い世代に怒られるって?俺そういうタイプだから。


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