一種類の完璧な食事を求めなくてもよい
こんにちは。センケイです。
一方では電子レンジの手間さえ惜しく、グミキャンディーのように即座に手づかみで食べられるものが欲しいと思う自分がいます。・・・①
他方、こないだ勉強会で題材にした『分解の哲学』などを読んでいると、そうだよな、食事の過程は大事にしないといけないよな、とも思います。・・・②
このように、矛盾する考えを葛藤として抱えそうになったとき、しかし、特に矛盾してもないよな、と思い至りました。
仕事で疲れてもうダメだ、とか、待ちに待った本やゲームにすぐに取り掛かりたいときなどは、①のように簡素な食事がやっぱり好ましく思います。
いっぽうで、週7日各3回の食事において常にそれが正解というわけではなく、今日は②を楽しみたいから②のスタイルを選ぼう、という選択をしてもいいわけです。
食事というのは繰り返されるイベントであるがゆえに、多様な選択肢が有ってよく、①と②をともに擁護することになんら矛盾はなかったのです。
あるいは、強制的に発生するイベントだからこそ、気の乗らないときはサッと済ませて、趣味として堪能できる余裕のあるときに堪能するのでも良い、とも言えるでしょう。
最近では完全食のパスタも現れてきているようで、これを知って改めて、自分が食事に求めるエッセンスとは「温かい塩味を噛むことだ」などと気付かされたわけですが、完全食や、あるいはチンするだけでお肉も野菜も取れるような冷凍食材も引き続き愛用しましょう。
いっぽうで、やっぱり談話を楽しむにはそれに適した食材と調理方法があるでしょうから、肉体を維持するということは、やはり自然の中に属することだから、などと想いを巡らせながら準備も含めて楽しむとしましょう。
このように考えていくと、飽きるというのも1つの才能には違いありません。それでこそ、これぞ決定版だというところでとどまり続けるのではなく、新しいスタイルを楽しむきっかけが生まれてくるわけですから。
オートポイエーシスの研究で知られる河本英夫さんの『飽きる力』、積ん読してしまっていましたが、この機会に繙こうかなと思います。
それでは、ときに応じて変化する食事ライフを楽しんでいきましょう。
また、オンラインのご飯会かどこかで。
※ 2020/08/01 追記 ↓↓
このあと、うっかりバランスを崩しすぎたり、またそれをときをほぼ同じくして、食を楽しむ様々な薫陶を受けたりしたため、続きの記事を書きました。
追記ここまで ↑↑
参考文献
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3305
藤原辰史 著, 青土社 2019
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