冊子を売り買いすることの公共性
本、あるいは薄い本というのはたいてい、物語を持っているように思います。
特に小説やマンガの場合は、中身自体が物語なのでそれはそうなのですが、そうした本じゃなくても、あるいは中身以外にもまた、物語があるのではないでしょうか。
本や薄い本という冊子が産まれてくるプロセスや、売られていくプロセスに。
それがゆえなのか、あるいは冊子というモノが持ちうるジャンルの広さゆえなのか、そこにコミュニケーションが生まれる話をよく耳目にします。
薄い本の場合、同人誌即売会の場で薄く広いコミュニケーションが成立することは (時宜によっては濃くなるのかもしれません)、実感をもって理解できるところであります。
本、つまりユネスコが定めるところによれば本文が 49 ページを超える冊子の場合でも、状況次第で、本が売られる場を通じてのコミュニケーションが生まれているようです。
『街灯りとしての本屋』という本は、店員さんとお客さんの間での棚についての会話や、本に関するものとは限らないイベント、あるいはブログや SNS を通じたやりとりをいくつか示してくれています。
こうしたことが、特にこの移ろいの激しい時代でうまく繋がりを見つけたり続けたりするヒントを持っているんじゃないか、COVID-19 がかき乱してきているけれども、それでもやりようはあるんじゃないか。
特に、この GW 中に盛んになっている同人誌即売会を通じて、その可能性を見てみたいと思います。
このさい、さらに、ひとりとひとりの関係だけではなく、コミュニティを作りそして繋げる「公共性」に注目してみたいと思います。
公共性とは何なのか、必要なものなのか?
まずコトバンク先生にたずねてみると、
広く社会一般に利害・影響を持つ性質。特定の集団に限られることなく、社会全体に開かれていること。
とあります。「利害・影響」は分かりづらいですが、少なくとも「特定の集団」だけじゃなくて「社会全体に開かれている」ものであることが分かります。
「利害・影響」のほうは、皆がアクセスできるものだ、くらいの意味に捉えるのが良さそうです。
『ソーシャルメディアと公共性』という本は、パットナムやジンメルを参照しつつ、いろいろな集団同士の交わりに「公共圏」というものを見出しています。
つまり、「皆がアクセスできるもの」のコミュニケーション版というわけですね。
1つの集団を超えてコミュニケーションできる余地がそこに生まれる。そこにどうやら、今の不安定な時代を乗り越える可能性がありそうです。
転職や引っ越し、家族構成の変化など、めまぐるしいスピードで物事が動いていっているこの時代、新しく知り合う人たちとどう接したら良いかという課題は、どうしても付いてきますからね。
山岸さんの『信頼の構造』という本が好きでたびたび参照しているのですが、この本もまた、既に知っているからとか、同じ集団にいるからといった理由を超えて信頼することの大事さを示しています。
知らない人でも、デフォルトでほんのちょっと信頼しておいて、ひどいことをされたらそこで初めて信頼しないことにする。このようなやりかたをする人が、同時に信頼関係をうまく作れる人でもあることを、同書は示唆しています。
そうするといっそう、デフォルトでほんのちょっと信頼できることを提供するコミュニケーションの場は、いっそう意味のあるものになりそうです。
なお、一応書き添えておくと、そうした信頼があることが意味するものは、いわゆる「みんな仲良く」というものではなく、仲の良さにかかわらずお互いにいい影響を与え合える、という意味に近いです。
以上、「公共性」は皆がアクセスできるもの、そして「公共圏」はそのコミュニケーション版であり、どうしても人付き合いの入れ替わりが激しい現代では特にそれが必要なのではないか、ということを書いてきました。
ここで、同人誌即売会がどのような役割を果たしうるのか、とくにこのコロナ禍下ではどうなのか、これについて考えてみましょう。
即売会に感じる可能性
この5月に行われるものは、自分が認識している限りでも、エアコミケ、おもバザオンライン、エアコミティアがあります。
公式サイトは確認できていませんが、エア文フリも行われるかもしれません。
これまででいうところの、コミックマーケット、おもしろ同人誌バザール、コミティア、文学フリマに対応するものです。
まずはコロナ禍下ではなく、これまでの場合について考えてみましょう。
こうしたイベントでやっぱり惹かれるのは、メディアの多層化です。
例えば文学フリマの場合、この5月にはリアルの会が中止になってしまったもののカタログが確認でき、ここでは、多くのサークルのかたが SNS も連携されていることが伺えます。
もしリアルで行われる場合は、SNS 上で知り合っているかた同士が、ここで初めて会うということも多く起きることでしょう。
さきほど触れた『ソーシャルメディアと公共性』では、ソーシャルメディア利用者の中でオフ会を経験したかたはわずか 10% ほどとしており、少なくともその意味では弱いのではないか、と暗に示しています。
ここでこうした即売会は実際に顔を合わせることになるため、同書がいうところの多層化が起きます。
ここでは、リアルがインターネット上のメディアよりも重要だ、ということを言いたいわけではありません。ただ、リアルも含めた複数のメディアでやりとりが起き、多層化されることは、コミュニティをより強いものにするでしょう。
逆の例になりますが、同書は、SNS を頻繁に活用することと、世代を超えた手助けをリアルですることとの間の相関も示しており(ただし、あくまで特定の団地でみた結果、という断りをしています。とはいえ、年齢などの変数を統制してもなお優位さが残る相関ということです)、多層化によって集団を超えた信頼が生まれる可能性を示しています。
さらに言えば、これらの即売会は、特定の作品を取り巻くファンだけで閉じるものではないたけ、集団と集団の交わりが期待されます。
個人的に着目している推しの即売会は、おもしろ同人誌バザールです。
この即売会は、公式サイトによれば「情報系」の同人誌をテーマにしていますが、その範囲はかなり広いものになっています。
食べ物、飲み物、旅行、本、映画、スポーツ、学問、世界の国と地域、文化、家電、雑貨、ライフスタイル、さらには各種の趣味や仕事……。
規模が中程度であることも相まって、さまざまな趣味のかたがジャンルを広げて冊子を買い、集団と集団の交じりが起きることが容易に想像できます。
加えて即売会である以上、即売会ではこういう風にふるまわないといけないという暗黙の空気感が(恐らく)適用され、これによって不誠実なふるまいもある程度取り除けることでしょう。これも重要な点です。
…しかし今、やはりこの状況下で、1つのメディアとして「リアル」がほぼ失われてしまっています。
それでもなお、即売会をはじめとする、冊子をやりとりする場に可能性を見出すことができるでしょうか?
コロナ禍の今、あらたな可能性はあるのか
私見ですが、そんな状況でも、だからこそ起こりうるようなことを考えたいと思います。
もちろん、実際ここから書くようなことがどれくらい機能するかは確認できていないことなので、多分に想像を含んでいること、ご容赦ください。
前提として2つの仮定を置きます。
リアルとくらべると口頭で感想が言えない分、感想がより SNS で書かれやすくなるのではないか。
通販の利用がその会期と終了後の両方で活発になるのではないか。
そうするとまず思い浮かぶのは、同じ冊子を買うかたがどんな感想を仰っているか見えやすくなる、という点です。
普段であれば、買うお客さん同士でのやりとりはほとんどないと思います。ときには近い興味を持っているにもかかわらずこのようにすれ違うことになっているのは、どことなく寂しいものです。
ですがこの今少なくとも、感想を見かけ合うという形での、新しいスタイルの相互作用が生まれます。
また、通販サイトも1つのメディアだと思えば、特定の SNS でのみ繋がっていた間柄が、SNS と通販サイトの両方で接する間柄になる、とも言えるでしょう。これもまた、多層化の一種と言えそうです。
この場合、リアルと比べると、比較的いつでも買えるようになる点が注目したいポイントです。ある意味、メディアの多層化が継続して続く形ともいえるでしょう。
このように、リアルな会では起こらなかったエアならではのやりとりを、想像することができます。
種類として広い、あるいは時間として長い形での、新たなる薄く広いつながり、ひいてはコミュニティの成立が期待できるのではないでしょうか。
まとめと課題
ここまで、集団内だけでなく集団を超えて信頼できる環境がどうやら大事そうだ、という話と、冊子を売り買いする場にその可能性があるんじゃないか、という説を書いてきました。
集団を超えて信頼するには、集団と集団が交わることが大事で、そのためには、複数のメディアで人と人が関わることも大事になりそうです。
即売会はリアルとソーシャルメディアという多層化を起こすもので、この点は期待を持てます。即売会によっては多様なジャンルが入り混じるゆえに、異なる集団と集団が出会っているともいえるでしょう。
ただし、まだ検討しないといけない課題もいくつかあります。
まず、即売会である以上、それ自体ある程度閉じた集団になっているのではないか、という恐れがあります(例えば『オタク文化と宗教の臨界』より)。
また、このコロナ禍下において代わりにできることとしていくつかの新たな可能性を挙げましたが、これはまだ多分に想像を含むものです。
不誠実なふるまいをどうやって除くかも、改めて考えなければならないでしょう。
しかしこの記事で、メディアの多層化できる場、そしてコミュニティのありかたについて、多少は希望を示せたのではないかと思います。
やりとりが多層化したからといって、すぐに「コミュニティ」になれるかについても考えていかないといけませんが(あるとしたらまずはハッシュタグでしょうか?)、そうした場を、自分も含めて積極的に作っていけたらなと思うところです。
それでは、ありがとうございました。
また、いまできることの中のどこかでお会いしましょう。
参考文献
図書、新聞及び定期刊行物の出版及び配布についての
統計の国際的な標準化に関する改正勧告(仮訳)
田中佳祐 著, 竹田信弥 その他, 雷鳥社, 2019
遠藤薫編, 東京大学出版会 2018
特に、
1章 遠藤薫「間メディア社会におけるポスト・トゥルース政治と社会関係資本」
2章 佐藤嘉倫「間メディア環境における公共性――ネット住民は公共性の夢を見るか?」
3章 瀧川裕貴「ソーシャルメディアにおける公共圏の成立可能性――公共圏の関係論的定式化の提唱とTwitter政治場の経験的分析」
4章 与謝野有紀「信頼の革新,間メディア・クラック,およびリアルな共同の萌芽」
山岸俊男, 東京大学出版会 1998
最終アクセス:2020/05/03
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最終アクセス:2020/05/03
最終アクセス:2020/05/03
今井信治, 晃洋書房 2018
脚注
SNS 以外の繋がりと信頼との関係性はやはり想像にとどまる:
『ソーシャルメディアと公共性』では、SNS がリアルの助け合いを強化する相関を示唆しましたが、第一に相関であって因果ではありません。第二に、通販で繋がることにより、SNS のみで繋がる場合と比べて何か強化されるっかどうかも同書からは判断ができません。これが、多分に想像を含んでいるとした理由です。
本屋さんを通じて繋がるかもしれない、この時期のイベント:
例えば『街灯りとしての本屋』に掲載されている本屋さんのひとつである双子のライオン堂さんでは、5月7日現在、月内にオンライン読書会が企画されていることが確認できます。
https://peatix.com/group/15017#
この時期だからこそ、という趣旨のイベントは自分が探す限り確認できませんでしたが、オンライン読書会の風潮ができてきたことで、例えば遠方の本屋さんのイベントにも参加しやすくなった、といったことは十分起こってきているでしょう。
その他、書ききれなかった話題:
この記事では、公共圏ができることや、デフォルトで人を信頼できる場の想定されるメリットを書いてきましたが、デメリットやリスクに関しては書ききれませんでした。『ソーシャルメディアと公共性』では、信頼と所得の再分配とのソリがあまり合わないのではないか、という可能性が示唆されています。ある1つの説明の仕方をした場合は、という形ではありますが。また、安全性のために不誠実な振る舞いをどう除くかに関しては、十分に書ききれてはいないと思います。これについては、また別の記事で改めて考えてみたいと思います。
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