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祝福

これは、文字どおり善を述べることである(呪詛は悪を述べることである)。それゆえに祝福は、将来、現在および過去に対してさえも、子供や息子や兄弟や仲間に向かって相手を善良で自由な人間であると判断し、彼に信頼し、また単に彼に属することだけではなく、彼の企てることが、その企て自身が立派なものであることは勿論のことだが、将来ますます良くなってゆくであろうということである。祝福はそれゆえに、慈悲の心から出るものである。祝福はまた、非難や譴責のあとで、また別離に際して、自然に起こってくるものだが、それはまた慈悲の一つの手段である。祝福は、状況から独立し、またそこから独立しようとしている点で厳粛なものであり、揺がない信仰を確言するものである。父と子と精霊との名によって、という式文はきわめて明瞭な意味を持っている。それは人を励ますために次のように言うことである。わたくしはお前を祝福する。何となれば、お前は自由な精神に参与しているから。わたくしはお前を祝福する。何となれば、お前はその本性上わたくしの兄弟だからであり、またわたくしは、人間は精神に仕えることができると信ずるからである。わたくしはお前を祝福する。何となれば、お前は徳と理性とがその反対のものと同じように可能であり、宿命などというものは存在しない世界に生きているからである。

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