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正直に生きることができたら #未来のためにできること

正直に生きることができたら———

来年から社会人になる。学生最後の年だから思いっきり遊ぼうと、銀行口座の残高に目を向けながら日本中を駆け巡る。

しかしどうしても気がかりなことが一つ。それは早々に決着をつけた就職活動だ。世の中には「本音」と「建前」がある。思っていることを口にすることが全て正しいとは限らない。現に私は就職活動を通して「建前」を培ってきたつもりだ。
本当にしたい仕事は、きっと違う。それでも逃げる覚悟はなかった。
未来の自分に不安を押し付けて、目の前の最適解を選んでいた過去の自分…

相手を喜ばせること。それは平たく言えば世界平和の本質かもしれない。
大きな争いが収まるのであれば、嘘の一つや二つも崇められる対象となり得る。
そして仕事とは誰かを喜ばせることだ。会社でも、個人でも例外は存在しない。相手の機嫌をとるために自分を殺すのが仕事というなら、給料は対価としての重みを増していく。

私は学生である一方で、音楽を作っている。金銭のやり取りこそないが、最近は誰かと手を組んで、ビジネス的なコミュニケーションをする場面も増えてきた。クライアントから毎日のようにLINEの長文が送られてきたこともあった。円滑な制作のために自分の気持ちを堪えるのは世の常だ。ましてや従属関係という見えない紐で縛り付けられていれば…
いつかプロの作曲家が言っていた、「作為のない音楽を作りたい」という言葉が胸に沁みる。受注と発注の間に、正直な想いが交わることは果てしなく難しそうだ。

近年話題になっている地球環境問題、特に二酸化炭素の排出による気候変動問題は人類にとって共通の課題だ。しかしふと冷静に考えてみると、本音で課題だと思っている人は何%いるだろうか。自分が死んだ後の何百年先のことなど優先順位は低いのではないか。大学で専攻している身分で言うのは少し憚られるが、環境問題は人間に都合よく利用されている部分があることは否めない。社会は、会社は、さらに言うと個人は、自分を守るために強すぎる共通の敵と戦っている気がする。

未来のためにできることは何か。私の答えは、正直に生きることだ。機会を失うこともあるだろう。それなりの覚悟が必要だ。いつか社会人になった時、ふと学生時代を思い出すかもしれない。その時に何を考えるだろうか。

最後に一つ念押ししておきたい。この文章が「建前」ではないということを。

#未来のためにできること

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