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苦労のない人生を目指して

タイトルからして、ぬるま湯に使った甘っちょろい生き方を想像させるが、ここで言いたいことはそうではない。苦労を苦労と思わないほどに夢中になれるものを見つけてハッピーになろうというものだ。

つまり、苦労は主観的なものであって、気の持ちようで苦労ではなくなるということも多くある。

私は以前に、片道1時間かけて自動車通勤をしていた。周囲からみれば、往復2時間を通勤に費やし、その間に電車通勤のように本を読んだり勉強したりしにくい環境であるということについて、「大変だね」と話すことが多かった。

でも、私にとってはそれしか手段はないし、電車やバスのような乗り物の中で文章を読んでいると、すぐさまひどい乗り物酔いに襲われるため、勉強には適さない環境であるため、別に苦労しているという感覚はなかった。

そして今は、勉強して身につけた知識や技術が患者さんの治療に大いに役に立っていることをとても嬉しく思っていて、そのための勉強を全く苦にしていない。

よく「家でも勉強して、論文書いて、学会発表の準備して、よくやるよね(大変だね)」のような励ましをもらうことがあるが、別に苦にならないんだから、私にとっては苦労でもなんでもなく、逆に喜びであるとすら感じている。

私のような人間は、全体から見ればマイノリティーなのかもしれないけど、一定数は存在していると信じている。

仕事にプライベートに忙しく過ごしていると、苦労していると実感することも多くあると思うけど、別の人からみればそんなことは全然苦労でもなんでもないと感じるかもしれない。

ならば、苦労を苦労と思わないほどに夢中になって、熱くなって取り組めることに昇華することができれば、苦労のない人生、ハッピーな人生になるんじゃないかと思っている。

なにも浅はかな考えで言っているのではない。

全ては気の持ちようで何とでもなるという考え方は、古くから存在していて、無意識にでも多くの人が経験しているはずだ。

今、自分が苦痛だと感じていることはなにか。

それはなぜ苦痛なのか。

そもそもそれを行うことの意義は?

それを行うことで自分や誰かの役に立っていることはないか。

同じ目的のことを達成するために、他の方法はないか。

苦痛と感じていることを探して、客観的に分析し、喜びに変えることができれば、苦痛のない(あるいは限りなく苦痛の少ない)人生は達成できるのではないか。

試す価値は十分にあるのではないかと思っている。

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