見出し画像

爪は切りたての方が鋭い

子どもって意外と頭固いよね


小学生の頃「爪が伸びていると危ないから、プールの前は爪を切りましょう」と言われていた。
それを聞いた私は幼心に「爪って切りたての方が鋭くて危なくない?」と思った。

実のところ、しばらく切られていない爪はそれほど鋭くない。日常生活の中で切り口が削られて、丸く滑らかになっているからだ。
爪は切りたての方が断面がパキッとしていて引っかかりも多く、研ぎたてのように鋭くて、引っかかれると痛いのだ。痒いところを強く掻いて、思わず「うわ痛っ!」となるのは、むしろ爪を切ったばかりのときなのである。

だから子どもの私はプールサイドで、当時の友人に「爪ってどちらかといえば切りたての方が危なくない?」と問いかけた。
そうすると友人は、おそらくは切りたての自分の爪を触ってみることもなく「そんなわけないじゃん」と笑った。

正直少し腹がたった。「『そんなわけないじゃん』と即答する前に、爪を触ってみるくらいのことはしてもよくない?」と思ったのだ。
それから考え直した。「まあ、先生が『伸びた爪は危ない』って言っているわけだしな。先生の言うことを疑おうとは思わないか」と。
そして正直にいえば、「自分は先生の言うことを疑えるくらい頭が柔らかいんだ!」というちょっとした優越感に浸ったのだった。

あれからずいぶん経つが、当時も今も思うのは「子どもは意外と頭が固い」ということだ。
彼らはいつも「一つの正解」を求めている。翻っていえば「正解がない」とか「正解とされるものを疑う」といった発想がない。
ついでに見識も狭いから、自分が見聞きしたただ一つの基準──往々にして「母親が家事をする」的なステレオタイプ──をもとに「正解か不正解か」を二項対立で判断しがちである。

あのときはたまたま疑問視する側だったが、間違いなく、私だって子どもの頃は頭が固かったはずなのだ。
いや、今もなのだろうか。よく分からない。言うまでもなく、人は自分が気づいていないことには気づけないからね。

だが、できれば頭は柔らかくありたいと思っている。
それでもいつかまた、見識が硬化してしまう日が来るのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?