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「同じ土俵に立ったら負け」?

「同じ土俵に立ったら負け」とはいうが、あれは一体どんな理由によるのだろう?

  • 時間・労力などの節約の論理

    • 「相手を言い負かすことに、貴重な時間や労力を割くべきでない」

  • 人としてのレベルが云々という論理

    • 「しょうもない相手と同レベルまで、自分の品位を落とすべきではない」

ちょっと考えてみたが、↑この二つくらいしか思いつかない。

というか、そもそも何をもって「負け」なのだろうか?
そんなもの個人の解釈によるだろうが、上記の論理に照らして考えると、

  • 時間・労力などの「計量できる」ものを、より多く浪費してしまうこと

  • 低劣な争いによって人としての品位を落とすこと

……などを「負け」と言っているのだろう。

なるほど、一分一秒をも無駄にしたくない多忙な人間や、品位のある人間にとっては「同じ土俵に立ったら負け」という言葉は妥当なのかもしれない。

しかし、そんな人間がどれほどいるというのだろうか?

よほどのブラック企業勤めでもなければ、ダラダラとネットサーフィンをする余裕くらいはある。
ダラダラとネットサーフィンをするのも、しょうもない争いに身を投じるのも、生産性という意味では大して変わりない。

それに、多少しょうもない人間としょうもない争いをしたところで、後の人生にどれだけの影響があるというのだろう。
時が経てば大抵のことは忘れられるし、忘れられなかったとしても、所属するコミュニティはいくらでも変えられる。

体力・精神力を消耗したくない?
確かにそういう考え方もある。
だから、下の問いに対する答えは人それぞれだろう。

「やられっぱなし」というムカつきを抑えることに使う体力・精神力と、一回相手に反撃することに使う体力・精神力では、どちらの方が大きいだろう?

お察しかもしれないが、個人的には前者の方が大きいと思っている。

一回くらい同じ土俵に降りていって、ぶん殴ってやってもいいんじゃない?
だってその方がスッキリするじゃん。

(比喩だよ、本当に殴んないでね!!)

もちろん、実際に「同じ土俵」に立つか否かは人それぞれだ。
自分の体力や精神力や道徳と相談した結果、反撃しないというのであれば、それはそれで素晴らしい選択である。

しかし、嫌な目に遭わされた人に対して「同じ土俵に立ったらダメだよ」とか言うヤツが個人的にはいけ好かない

それって、その人の品位を人質にとって「高潔な人間だと思われたければ、被害を甘んじて受け入れろ」って言っているようなもんじゃん。

気に食わねー……悪しざまに言いすぎかな?

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