善と無力(キリスト教によせて)
アウグスティヌスの時間論
ニーチェ『善悪の彼岸』
バタイユ『宗教の理論』
言うまでもなく、善くあるためには無力である必要がある。そして、この無力さには一抹の愚かさが含まれている。
そしてその「愚かさ」とは、合理的な判断ができない文字通りの愚かさというより、愚かでいようという合理的な判断なのだ。
例えば、善の神は無力だ。それは無力を貫き通して十字架上で死ぬような神なのである。苛烈さや恐ろしさのゆえに神であるような、多神教の神々とはわけが違う。
そして、この「無力さ」も文