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もし既存のレールから外れたらどうしますか?

そう。約一年前レールから外れたのです。まだ小学校3年、、、かなり複雑、そしてどん底。メンタルズタボロ。当時の私は学校にいかなきゃこの世の終わりだし、娘の評価が私の評価みたいなことになっていたのだ。

完璧主義を通り越した毒親に、一番なりたくないとねがっていた母の面影をおっていたのである。

私が愛情だと思ってかけていたのは、歪んだ愛情だと気づかされた。ありのままの自己肯定感なんか育っていない。いい大学にいき、人と比べて育てていた。あいつよりも、点数がとれる私すごいだろ!


自分は他人からの評価で承認欲求をみたして、人に依存し、いわゆる常識、ルールに頼って、自立しているようで自立していないのであった。例え熱があろうが、体調悪くなってようが、学校にはいってね。そんな鼻風邪じゃ休めないよ。自分中。

娘の話しは信じようとせず、頭で考えればつじつまが会わないことを、なぜ嘘をつくのかとののしり、世間体をきにしていたことに、世間体に身をおき娘を批判していた自分に気づいた。


今はいわゆる不登校児童であり、適応教室に通うようになった。学校にいっていない今、なにが得られたか。

      (  自  由  )

そう。選択一つとっても、道筋がないのだから、自分で決めて、自分でやらなければならない。小学生なのに。と

なんて気楽なんだ!と思いきや違う。。

おおいなる責任が伴ってきた。

学校にいたころは、大学まではレールがある。いかに先生の指示に従って、いかにいい子でいようとしたのか、個なんかいらない、朝おきて、マニュアルに従い、社会の歯車を回す。それがエンドレス

ロボットを大量生産する場所にいこう、、

学校って言う機関の怖さを改めて痛感した。


事実、娘に言う言葉は変わってきて

いうことをききなさい、わかってるの?聞いてるの??       

昔は発狂していた。登校班に遅れるよ時間にいけてないから、迷惑がかかる。

早くしなさい。どうしていうことが聞けないの!いい加減にしなさい。

まるで自分の支配する(物)かのように子供を扱う。自分が一番ゎがままで、いうことをきかないのに。

          ↓

おはよ!今日はなにする?なにをやりたい?

こんなんもあるけど、やってみない??

主に従いなさいからのwhat do you want??

私が娘のいうことをきかないから、娘とも壁をつくり親子関係に溝を作っていたことを反省した。人のことを尊重することが出来るようになってきたし、自分の言葉にも責任を痛感するようになったのだ。そして、人に求めすぎていたことに気づいた。もっとやって、もっともっとって。私はやったでしょ?やってやったのに、見返りは??って親切心を通り越した干渉に執着心。心配するフリをした、コントロールにおしつけ。


実際、うちの担任もいうことをきかない娘と私に業を煮やしたのか、夏休み前言った一言

だって学校にこないじゃないですか。

いうことをきいてればいいんです。

…ロボットではないからね。私達。

多分年度末言われることは予想ができている

(お前のせいで、私の評価がさがった、どうしてくれるんだ)

レールから外れた生き方をつらぬいているが、学校にいかないことで困ってることはない。強いて言えば、むしろ学校にいた時の方が自分を大切に出来てなかったんじゃないかと思う。 


学校にいってる方がメリットも一杯あり、無料で教えてくれる人がいるし、その方がドシロウトの私から知り得る知識よりもはるかにいいこともわかっている。

先生方には頭が下がることも確か。


これから個の時代。

日本の教育がどうなっていくやら。










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