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アメリカ ルート66を巡る旅 04 ミズーリ州 東部

今回は、ミズーリ州の東部を走ります。ルート66は、シカゴからロサンゼルスまで全部で8つの州を走り抜けています。イリノイ州、ミズーリ州、カンザス州、オクラホマ州、テキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州、カリフォルニア州と、まさにアメリカを横断する道路なのです。シカゴを出発したルート66はイリノイ州を南下、そしてミシシッピ川を渡り、いよいよ西に向かいます。ここから終点のロサンゼルスまではほぼ西へ走ります。
前回までは、始点の州であるイリノイ州を紹介しました。イリノイ州は大都市シカゴの影響を受け、どこか品があり、人々もリベラルでした。
ここから西は、今までとは異なり荒れた土地、そして保守の街が続きます。

ミズーリ州を走る旧ルート66

今回紹介する2つ目の州である「ミズーリ」という名前を聞いて皆さんはどんなことをイメージしますか?アメリカ人に聞いてもあまりピンとこない人がおおいようです。ミズーリ州を代表する街は、ミシシッピ川沿いに栄えたセントルイス、そしてカンザス州との州境にあるカンザスシティ、州の真ん中に位置するスプリングフィールドくらいです。あとは特に大きな街もなく、丘陵地帯が延々と広がっています。州の主要産業は観光だそうで、セントルイスあたりになんとなく観光名所がありますが、たいしたことはありません。ルート66観光が結構な目玉となっているようで、ルート66を走ると中途半端なB級観光業施設が多数あらわれます。こういう施設をまわるのも面白いかもしれません。

では、ルート66を走りましょう。イリノイ州を終え、ミシシッピ川を渡ります。ミシシッピ川がイリノイ州とミズーリ州の州の境界線になっています。車で旧ルート66を使い渡ることができないので、州間高速270号線を利用してミズーリ州に入ります。

<Mississippi River>
ミシシッピ川は、アメリカで二番目に長い川で、北部ミネソタ州からメキシコ湾に流れています。トム・ソーヤの冒険などの舞台にもなっており、ディズニーランドのアドベンチャーランドにある蒸気船マーク・トゥエン号やトム・ソーヤいかだなどは、昔のセントルイスあたりをイメージしています。
ミシシッピ川は、セントルイスの観光の目玉のひとつです。蒸気船が運行され、観光客は船に乗り近くの観光地を訪れたり、船上で食事をして楽しみます。トム・ソーヤの舞台になった小さな街を巡り、古き良きアメリカの生活をイメージしてみるのも楽しいと思います。
ミシシッピ川はこのあたりではかなりの川幅になっていますが、上流ミネアポリス付近では川幅も狭まり長閑な流れとなっています。川を下りニューオリンズあたりでは、海のように川幅がさらに広くなり、メキシコ湾に注ぐ河口では大量の土砂が堆積した三角州が形成され海老漁が盛んに行なわれています。(映画「フォレスト・ガンプ」でババと海老漁を約束した場所です。)ミシシッピ川を源流からかメキシコ湾まで旅するのも楽しいでしょう。

<St. Louis>
ミシシッピ川を渡るとすぐの大都市がセントルイスです。764年にフランス人が毛皮の取引所を設置したことからこの街は始まりました。当時はミシシッピ川が交通の中心でしたので、フランスから船でここまで行き来したことになります。アメリカ建国当時は、東海岸からこの辺りまでをアメリカとしていました。当時はセントルイスがアメリカの西端だったのです。そしてそれより西は広大な未開拓地でした。
その後、アメリカはフランスのナポレオンからミシシッピ川西側の領土を購入します。アメリカの領土は一気に西に広がります。それまで貧困に喘いでいた人々は、こぞって西の土地を目指しました。西に行けば自分の土地が持てるという夢を実現したかったのです。そしてゴールドラッシュの時期は、一攫千金を夢見てたくさんの人が西へと旅立っていったのです。この西へのゲートウェイがセントルイスとなったのです。現在も街には大きなゲートウェイ・モニュメントがあり、当時を思い起こさせます。
19世紀に入ると、デトロイトに次ぎセントルイスも自動車工場がオープンし隆盛の時期を迎えますが、その後産業が空洞化し現在は治安の悪い街となっています。
街は結構大きく、お金持ちは街の西側に住んでいます。イースト・セントルイスと呼ばれる東側は治安が悪いので近づかないほうがいいでしょう。セントルイスのルート66は年代によりルートが変更されていますが、現在もHistric Old Route 66の標識が残っていますので、この看板を頼って進んでください。。残念ながらシカゴと同様、古き良きアメリカの風景は既に破壊され、当時の面影は残っていません。

<Ted Frozen Custerd>
セントルイスの中心部は、ルート66を旅する者にとって見るべきポイントは少ないのですが、昔から続いているアイスクリーム・ショップは人気のスポットです。テッドは、ソフトクリーム発祥の店ともいわれている古い店です。現在も年間を通して営業しており、真冬でも行列ができています。メニューは豊富で、ただのアイスクリームだけでなく数十種類のトッピング、数種類のフレーバーを掛け合わせて注文します。英語が苦手な場合かなり躊躇するのですが、がんばってオーダーしてみましょう。私はベーシックなアイスクリームのチョコ味のスモールをオーダーしました。スモールといっても巨大です。ラージは夏でも食べきれないでしょう。ここのアイスクリームはとても固く、逆さまにしても落ちないそうです。味はよくあるアメリカのアイスでした。

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ソフトクリーム発祥といわれる店

コラム:セントルイス
セントルイスという都市。高層ビル群が遠くから見え大きな街であることがわかります。かつてはミシシッピ川を使った交通の要、そして文化圏の端、フロンティアへのゲートとして賑わった街です。今でも郊外にはその頃の面影が残る場所や遺構が残っているのですが、ルート66を走る私はゆっくり滞在しての観光ができませんでした。ここはかつては未開の地への入り口でした。東からきた白人たちは、ここから先へ踏み出るのにはとても勇気が必要だったことでしょう。歴史的には重要な都市なのでいつかはゆっくりと観光したいと思います。
郊外には観光地のほかにも富裕層が住む街や典型的なアメリカの郊外といった住宅街がありますので、そういうところを見て回るのも面白いでしょう。ルート66を旅する人の中にも大都市なので、この街で1泊しようと考える方もいると思いますが、街中を避け郊外の治安の良い場所で宿泊することをお勧めします。

旧ルート66の旅を続けます。車を州間高速44号線に沿って走らせます。セントルイスから暫くは旧ルート66は、44号線と平行して走っていますが、セントルイスあたりは高速に塗りつぶされてしまっているので、高速に乗ったり降りたりが続きます。

<Gardenway Motel>
セントルイスを過ぎると、だんだん60年代のアメリカの色が濃くなってきます。古き良きアメリカの原風景がそのまま残っているのです。セントルイスの郊外が終わると、穏やかな丘陵地帯が出現します。ミズーリ州を走るルート66は、別名「ジェットコースター・ハイウェイ」と呼ばれ、アップダウンとカーブを繰り返します。そんな山の中にGray Summitの町があります。といってもモーテルが数件あるだけで、町の機能があるとはいえません。ここにルート66では有名なガーデンウェイ・モーテルがあります。サインがかっこ良くアメリカ横断の雑誌や写真集によく載っているモーテルです。現在でも営業を続けており、希望すれば宿泊できますが、周りには何もなくちょっと寂しいかもしれません。

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美しいサイン


<Stanton>
スタントンという町には、西部劇で有名なジェシー・ジェームスが隠れていたメラニックカバーンがあります。ジェシー自身もルート66を行ったり来たりして犯罪を犯していたそうです。この鍾乳洞の看板は、ルート66を走っていると至る所で見られますので看板を見るたびに誰もがどんな場所なのか気になります。それほど人気の観光ポイントとなっているようです。実際に行ってみると大した観光ポイントではないのですが、こういった観光名所が街の経済を潤しているのでしょう。カバーン周辺には、蝋人形館やジェシー・ジェームス博物館などのどうでもいいB級観光名所も沢山ありました。
ご興味のある方は是非寄ってみてください。

<Meramec River Bridge>
この街には、古い橋が残っています。かつてルート66にかかっていた橋です。撮影スポットです。古いデザインがいい感じでした。

<Wagon Wheel Motel>
ルート66上にはアナコンダやバーボンなど変な名前の町が多数存在します。おそらく、町を作るときに良い名前を思いつかなかったのか、住人がかつて住んでいた街の名前を付けたのでしょう。Cubaもそんな町のひとつです。
ここには、古くから続くワゴン・ホイール・モーテルがあります。早速行ってみると、なんと建物は建て替えられ新しくなっていました。かつての面影を残すのはサインのみでした。ルート66では、このように商売として成り立たなくなったモーテルやレストランが容赦なく解体されてしまいます。それは特に都市部で起こっていて、シカゴやセントルイスには60年代のルート66の面影はほとんど残っていません。キューバのような田舎町でもリコンストラクションが行われてしまっているのは残念です。最近では、かつてのルート66の遺構を保存する動きがでてきていますが、ミズーリ州ではまだ行われていないようです。

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看板だけが昔のままでした

<Hotel Edwin Long>
Rollaという街は、セントルイスを出発して以来の街ですが、人口は18,000人だそうです。この街は大学の街です。ミズーリ工科大学があり、その学生と関連の商売で成り立っています。かつてはルート66の宿場町として栄えたそうですが、今は学生しか見当たりません。そんな街にかつて有名だったホテルが残っています。とても寂れていますが哀愁漂う建物や看板を見ると、これぞルート66の景色だと感慨深くなります。
 
<Uptown Theatre>
かつてローラのダウンタウンだった場所は、今は寂れていて人影はありません。人がいないので治安が悪くもなりません。ほぼゴーストタウン化してしまった昔の宿場町だけが残っています。そんなダウンタウンはかつては栄えていたのでしょう。街には劇場があり、毎夜演劇が上演されていたはずです。人口が減って劇場は映画館となり、それでも採算が合わなくなったのだと思います。そんな劇場がアップタウン劇場です。今は当然営業されておらず、かといって建物が解体されるわけでもなく寂しく放置されていました。中をのぞくと、最後の営業は映画館だったことがわかります。チケットブースもロビーも残っていますが、再オープンの可能性は低そうでした。

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営業していない劇場

*コラム*
セントルイスを抜けると、ミズーリ州は森でした。高低差のあるルート66を走ると、まさにジェットコースターに乗っているようなアップダウンが続きます。丘の上から見るミズーリは360度森が広がっています。アメリカ中西部は真っ平らだと思っていましたが、これは間違いでミズーリ東部は広大な丘陵帯地帯だったのです。そんな場所に小規模な牧場や畑が点在しています。西部劇で有名なジェシー・ジェイムス、ビリー・ザ・キッド、ボニー&クライドは、ルート66を何度も往復して犯罪を重ねたそうです。そしてこの辺りの森や洞窟に隠れ警察からの追跡をかわしたそうです。確かに、そんな雰囲気の場所でした。
ルート66沿いには少人数が住む小さな町が時々現れますが、人影はありません。ガソリンスタンドで店員さんを見かける程度です。この辺りの住人は森の中で静かに暮らし、家族やご近所さんと強いつながりを持って生活していました。

次回はミズーリ州の西側を紹介します。丘陵地帯が終わり、グレートプレーンズに入ります。ここから先は竜巻が発生する場所です。竜巻警報に注意しながら大平原を横断していきます。
お楽しみに! 


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