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寺地はるなさん『水を縫う』を巡って

(1)更新されてく言葉たち

新しい物語との出会いは新しい言葉との出会いでもある。今回、読書仲間の方から教えて頂いた寺地はるなさんの『水を縫う』があまりに良くて、今こうして文章を書きはじめている。

男子高校生の「清澄」がこれから結婚する姉「水青/みお」のためにウェディングドレスを縫う。ただそれだけの物語。そこにはドラマティックな展開も壮大な謎解きも無い。ここにあるのは日常だ。清澄、水青、さつ子、文枝、全、そして黒田を中心としたキャラクターたちの日常。朝の気怠さや登下校の景色、学校での会話、仕事の鬱屈、目玉焼きをのせた「豪華版」焼きそば、食器を洗う音、家族とのやり取り、見慣れた家具の輪郭。ここにあるのは確かに些細なことかも知れない。しかし、些細なことは決して無意味と同義ではない。むしろ清澄たちの小さな一喜一憂はそのまま私の日常にも続いている。だからいっそう切実な物語として迫ってくる。私がとりわけ惹かれるのは、登場人物が日々の体験を通して自分の言葉を更新していく姿だ。特に水青のエピソードが鮮烈な印象を残した。

水青は「かわいい」が苦手だ。それは小学校の頃の体験が原因だった。塾の帰り道、不審者から追いかけられ、その去り際に言われた言葉が「かわいいね」だった。その「べっとりとはりつくような声」は長く耳に残ることになった。

【かわいい、と誰かに言われると、今でもすこし耳の奥がざわざわとする。その言葉に濁ったものが含まれてはいないか、疑ってしまう。たとえば子どものスカートを切りつけたいというような欲望。仄暗いもの。悪意。ざわめきの中で必死に耳を澄まして聞き取ろうとする。かわいいってどういう意味? どういう意味で言ってるの?】p.62

言葉は変わる。変わり続ける。かつてつらい出来事によって仄暗いものへと変わってしまった「かわいい」という言葉。しかしその意味さえ変わっていく。ひとつの出会いによって。物語の第二章はこんなふうにはじまる。

【紺野さんがくれた傘は、水色だった。雨の日に使うものなのに、よく晴れた日の空のように明るい青。】p.43

紺野さんが、紺野さんとの日々が。水青を、水青の「かわいい」を変えていく。『水を縫う』の魅力は、登場人物の魅力でもある。私は紺野さんがすきだ。二人の出会いは一本のボールペンがきっかけだった。舞台は水青の職場である塾。こんな一節がある。

【コピー機のメンテナンスに来る人。紺野さんについては、それだけの認識しかなかった。顔もろくに見ていなかった。落としたペンを拾ってもらうまでは。
 私が取り落としたペンはころころとコピー機の前でしゃがんでいる紺野さんの足元まで転がっていった。紺野さんは、拾い上げたペンの埃を指先でさっと払い、立ち上がろうとするわたしを片手で制して歩いてきた。
 「このペン、書きやすいですよね。僕も愛用しています」
すこしも音を立てずに、ペンをわたしの机に置いた。コンビニで百円ちょっとで買えるペンを、まるで希少な宝石みたいにあつかうその手と、やさしそうな笑顔と、コピー機をあつかっている時に滲んだらしい額の汗が、いっぺんに飛びこんできた。】p.65

とても魅惑的な場面だと思う。「まるで希少な宝石みたい」とあるが、水青と紺野さんをつないだ百円ちょっとのボールペンはこの時、二人にとって「宝石」の価値をはるかに越えた特別なものとなったに違いない。今、私は「かわいい」の変容を追っている最中だが、同時に物語はその途上で無数のものやことを変えていく。小説の魔法は一本のボールペンを宝石以上のものに変え、その様を目の当たりにする私たち読み手もまたその力を信じるなら、その魔法のかけらを自分の日常にそっと持ち帰ることが出来るだろう。

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