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【蒼雑記】映画の感想を生放送で喋り倒した話

はぁい高梨蒼だよ。みんなはHELLO WORLD見た?まだ?早く観てね。

感想兼布教用記事置いとくから読んでね。で映画終わる前に観てね。

で、昨晩HELLO WORLDの感想を喋くる友達のニコ生にゲストでお呼ばれしました。今日はその話をするよ。

これですね。まだタイムシフトとかで見れるのかな?

放送本編の話

進行を全部さんいちさんに任せて、僕は好き勝手しました。好き勝手していいって言われてたので、しました(得意げ)。

映画パンフレット、ビジュアルガイドブック、if小説を持ち出して、あっちではこうだったこっちではああだった、と公式設定を取り出しつつ、
「一行さんがスマホ出した時点で負けたよね」「負けた」って言ったり、
「予告編、改めてみるとめちゃくちゃ核心やってない…?」「『愛してくれていたのですね』とか『イチギョウさんとの自転車』とか全部やってる…」って振り返って戦慄したり、
「もし100分じゃなくて120分だったら」「もし12話のアニメだったら」「もしギャルゲだったら」「もし勘解由小路さんルートを選んでいたら」とかたらればしたり、
千古教授の善さについて語ったりもしました。

ありがたいことに、さんいちさんが先んじて僕の感想noteを読んでくだすっていたので、ぐるぐる練った考察もぶちかませたんですよね。視聴者さんは置いてけぼりになってなかったみたいなので、結果オーライです。

好きなものを直接語り倒せる場、最高ですね!

生放送についての話

所謂喋る側、パーソナリティ側の立ち位置で生放送に参加するの初めてだったんだけど、すごく楽しかったね。自分の思ったところを喋くって、それにレスポンスが返ってくるのは単純に楽しい。これは割と…癖になりかねないな…?

リアルタイム性っていうのはnoteよりもTwitterに近い。生放送はTwitterよりさらにリアルタイムリアクションだ。
言い換えれば「つながっている感覚」が強いんだよな、生放送。

そこで、自分の「これが好き!」を思うさまに放って、それにリアクションが返ってくる。これ最高じゃん?

つまりは「魂の肯定」なんですよね。(おっと、論理が飛躍したぞ?)

人が「一人の人間」として確立される故を「魂」に求めるとして、
「魂」は「ものを感じて思うこと」を司るとするなら。
「魂の肯定」こそが「人格の肯定」「人間の肯定」と言えるわけですよ。

そういう観点に立っていくと、「こう思った」の肯定、共感こそが「人間の肯定」、と言えるわけです。

で、生放送って「自分の肯定」がすごい早さで達成される。すごい。
だって「これいいよね」って言った瞬間に「わかる」ってリアクションが来るんだよ。充足感じゃなくて何なのさ。

そりゃ~皆さんこぞって生主やらYou/VTuberやりますわな……。

いやぁ、大ブームから遅れること数年、やっとわかった。いい体験できましたわ。

まとめ?

すきを語る生放送はたのしい
・すきを語るnoteとは違った楽しさだ
・すきを肯定されるとすごく(きっと「嫌い」を肯定されるよりも段違いに)充足感がある。おそらくは「速さ」があるからだ。言い換えれば「リアルタイム性(そこに人がいる生々しさ)」が、noteにスキが積みあがる「量と明瞭」と違う部分を擽る

・またやりたいもんだ。


じゃ、今夜はそんなふわっとした日記ってことでおしまい。グンナイ!


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