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【ニンジャけんきゅうぶん】物質界・エレメンタル世界の性質と、生命と世界構造の考察・第一章

◇大前提◇

ドーモ、高梨蒼です。本noteは小説「ニンジャスレイヤー」について考察する記事です。ニュービーヘッズゆえの無知、無法等も多くあるかと思われますが、ご指導ご鞭撻頂けると幸いです。作品を知らない人(日記、料理、エビストなど経由で来た人)は、原作を読んだり漫画版を読んだり、アニメイシヨンを視聴しよう。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

目次

要旨

序論

第一章「エレメンタル世界と物質世界の関係性」
第二章「ニンジャ、ハッカー、魔術師の生態的、技術的差異」
第三章「デジ・プラーグの構造的意義と今後の展望」

結論

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

要旨

物質界は「定型物理物質」、エレメンタルの世界は「不定形要素」を構成元素とした世界であり、これらは重なって存在している。人間で言うならば「肉体」と「精神」である。

物質界にエテルを引き出すのがニンジャや魔術師であり、エレメンタルの世界へエテルと化して侵入するのがハッカーである。これらは、どちらの世界が基準かが違うが、「どちらかの世界を基準とし、エテルと物質の変換を行う」点で同一の存在である。

デジ・プラーグ2は、物質界とエレメンタルの世界の垣根を高い精度で消失させている。「2」によって生み出された「誰もがエテルに触れられる世界」は、神秘及びその秘匿性の消失と、新たなデジ・神秘の確立をもたらす。

そうした世界の変容は、まさにマッポーカリプスである。

序論(概要・前提)

本論文は、「ニンジャスレイヤー 第四部 エイジ・オブ・マッポーカリプス/ザイバツ・シャドーギルド」時点での忍殺世界を考察する。

特に「エレメンタル世界と物質世界の関係性」「ニンジャ、ハッカー、魔術師の生態的、技術的差異」「デジ・プラーグの構造的意義と今後の展望」を章要素として論を展開していく。

「エレメンタル世界と物質世界の関係性」では、エレメンタル世界とは何か?一般的物質世界とは何か?を考察する。コトダマ空間、エテルの性質についても当該章で考察する。

「ニンジャ、ハッカー、魔術師の生態的、技術的差異」では、エテルを利用し、コトダマ空間、エレメンタル世界へアクセスしうる三大存在の差異について考察する。

「デジ・プラーグの構造、意義と今後の展望」では、「無限遠」が開発せしデジ・プラーグについて、その機能、意義、開発経緯と今後を考察する。

結論で、本論の内容をまとめなおし、世界全体の変化について指摘する。

本論を執筆するにあたり、筆者は「第四部から入ったニュービ―(+シヨン、物理1巻、ノーホーマー)」であり、各種ログ、友人のメンター・ヘッズの助けを得つつ書いていることを明記する。

本論

第一章:エレメンタル世界と物質世界の関係性

エレメンタルの世界とは

(ザイバツ・シャドーギルド#4より)

エレメンタルの世界とは、物質界と重なり合って存在し、神秘の基にして素、「エテル」が満ちている世界である。

ヘッズの間では、「コトダマ空間とエレメンタルの世界は同義なのではないか?」という意見が多くみられる。筆者もそれに概ね同意する。

類推の根拠として以下を提示する。

(ザイバツ・シャドーギルド#4より)

マンデルブロの世界」は、ニンジャであるコルヴェットが触れることができ
、一般魔術師が没薬やスペル・チャントを以て触れる点で「エレメンタルの世界」と同義である。

ここで「マンデルブロ」について紐解く。マンデルブロとは「複素力学系におけるある種の集合」、およびその提唱者の名である。マンデルブロ集合は「複素数要素を持ち」「一定の規則によって拡散・収束する(無限大発散しない)」特徴を持ち、「フラクタル図形」として表される。
マンデルブロの世界は複素数要素を持つが、複素数とは何か?一度高校数学と、あのころの綺麗な夕日を思い出していただきたい。
複素数”i”とは「i^2=-1」を満たす(二乗することでマイナスになる)仮定上の存在。「理論上存在するはずだが、実体的にあり得ない存在」である。そして、それによって「無限ではないが広がる空間」が「マンデルブロの世界」と言えよう。

実体はないが、存在しうる計算上・想像上の世界」……何かピンと来ないだろうか?そう、ハッカーなど極一部の人間が認識できるが、実体として存在しない「コトダマ空間」は、まさにその特徴を持つ。

以上の記述及び推論から、「エレメンタル世界≒マンデルブロの世界≒コトダマ空間」である。


コトダマ空間とは

では、コトダマ空間とエレメンタルの世界の差異は何なのだろうか?


(2016年エピソード投票結果発表より)

近々ではこのモーゼズ氏のコメントからも「コトダマは都市の集合意識」であることが示されている。
一方「IRCとオヒガン(超自然・精神的概念)のオーバーラップがコトダマ空間である」という言及もある。オヒガンは霊魂・意思の集合、またはそれを信じる生者のイメジによるもので、「集合意識」であると言える。

両要素を合わせて考えると、「電子的ネットワークを経路として人々の無意識、精神が広域的に集約され、エレメンタルの世界に像を結んだ」ことで生まれた世界がコトダマ空間であると言える。
この時、現代の生者も過去の死者も集約されているため「過去と未来の偏在」が起こる。

ネットワーク技術の「発見」及び利用は、世界中の人間の知識、思考、精神を電子経路で繋げた。一都市、コミュニティ内で行われていた会話、交流とは、速度・範囲ともに比較にならないレベルだ。そうした「超大規模・全人類レベルでの集合無意識」によって構成されたものがコトダマ空間だ。

では逆に、コトダマ空間はIRCネットワーク技術がなければ存在しえないのか?答えは否である。「ローカルコトダマ空間」と「ネットワーク外のコトダマ空間」がその論拠となる。

「ローカルコトダマ空間」は、個人の精神世界、心象風景である。世界をネットワーク経由で繋ぎ生み出した「グローバルコトダマ空間」の逆、といって差し支えない。自分一人の精神なので、IRCを介するまでもなく像は安定する。
この空間内に他者が侵入する、というのはグローバルコトダマ空間と同様に、同じ精神行動の共有、イメジの共感が起きている。
ローカルコトダマ空間においては黄金立方体が観測されない。だが、他人のローカルに侵入した際は観測される。このことから、黄金立方体は他人の精神に共感をすることで発生する、と言える。(フジキドがローカル極北で見た黄金立方体は、ナラクとの共感によるものとなる)

「ネットワーク外コトダマ空間」は、人類の集合的無意識が電子的ネットワークがない場所においても存在し得ることを表す。電子的に01接続できない、あるいは直接の会話(共感)ができないことで認識の難度は段違いではあるが、コトダマ空間、その基礎となるエレメンタルの世界が物質界と「重なり合って」いるならば、無媒介でのアクセスも可能であろう。

エテルとは◇

最後に、エテルとは何かについて論ずる。

先のエレメンタル世界の仮説を基にすると、「エテルとは虚数"i"」であり「神秘の源」である。
これの特徴として、筆者は「エテル=イメジ、想像力、生命力=魂のエネルギー」であると提唱する。


(2016年エピソード投票結果発表より)

このモーゼズ氏のコメントからも「モータルの精神をも経由してコトダマ空間への接触が起きる」ことは明白である。また、ジツを以てコトダマ空間へ行くタイプのニンジャも居る。前項でも触れたが、コトダマ空間に接触するのに、必ずしも電算処理力(ハッカー的能力)は必要がないということだ。

このことから、精神的活動はコトダマへの干渉力を持つ、つまり「精神的エネルギーはコトダマ空間で力(物質界で言う熱、キネシス)をもつ」と言える。

即ち、物質界に空気(のもつ熱)や重力(ベクトルエネルギー)といった物理物質及びエネルギーが満ちているように「コトダマ空間≒エレメンタルの世界には『精神的エネルギーと類似するもの』が一定の媒介と共に満ちている」と言える。
「オヒガン」という神秘は霊魂の存在に通ずる部分にあり、その点からもコトダマ空間、エレメンタルの世界に「精神的なもの」があることは想像に難くない。

そして、個々人が「魂(エテル)」=「自分の中の小さなエレメンタルの世界」を持つからこそ、「カラテ鍛錬によって身体能力を向上させ」たり、「自分の中にローカルコトダマ空間を生成」することができる。

長くなったが、これがエテルの正体の論拠である。
もう一度繰り返して明記する。エレメンタルの世界に満ちるエテルとは魂であり、我々が持つ魂はエテルである。

これを基に考えると、「オヒガン」に説明がつく。オヒガンは死者の霊魂がある場所(所謂「あの世」)だと言われているが、これは、物質的肉体を失いエレメンタルの世界に帰った後も自我を持ち続ける強い魂(パーソナル・エテル)の領域のことである。
コトダマ空間が主に「生者の集団無意識」であることに対して、オヒガンは「死者の個々の意識」である。領域特徴としては真逆に近い
だが、コトダマ空間は死者の意識を取り込んでいるとも考えられるし、オヒガン領域も「死者領域があるはずだという生者の意識」によって構築されているとも考えられる。お互いに干渉しあう部分もあるはずだ。

◇第一章まとめ◇

概念的な話題について、改めて身近なものに置き換えて説明し直そうと思う。

エレメンタルの世界=海
コトダマ空間=人々の水遊びで生まれた「人造の水流」。
黄金立方体=海に浮くブイ(目印)。複数人で遊んでいるしるし。

IRC=特定の水流を作りやすくする、道具や指示。
ネットワーク外コトダマ空間=個々人の「勝手な水遊び」が芸術に見える現象。認識難易度は高い。

オヒガン=水の中でも色・温度が少し違うもの。海に溶け切らない特異な水の集まり。
ニンジャソウル=海に還っても特性を失わない・溶け込まない水の中でも、生前ニンジャであったもの。海辺で遊ぶ人に浸透することがある。

付記 ウキヨはどこからくるの?

エレメンタルの世界、そこにある「エテル」が精神エネルギーならば、「ウキヨはどこからくるのか?」にも回答が可能になる。

ずばり「オイランドロイドの素体にエテルが定着したもの」がウキヨだ。

ウキヨを「不自然なもの」と呼んだサザンクラウドには気の毒だが、人間は「肉とエテル」と言えるし、オイランドロイドは「人形とエテル」となる。大差はない。

磁気嵐、コトダマ空間の現実流入を端に発し、エテルも物質界に大量に流入しているとしたら、こちらで行き場を失ったエテルが人形に宿った結果がウキヨと言えるだろう。

◇付記 アマクダリがしたかったこと◇

アマクダリは現実とそれ以外を分断して、形而上概念(イメジ)の否定、魂なき世界を求めたと聞く。物質界とエレメンタルの世界の分離がもしもできたなら、現世で言うところの魂は循環せず、新たな定着もせず、合理的性を突き詰めた世界もまた完成していただろう。


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思いがけず長くなってしまった。
本論の第二章以降は別記事にしようと思うので、
よければ読み進めてほしい。



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