【蒼雑記】幻想の妻子と暮らしていたころ ~バーチャル人格と乖離と救済~
かつて、「高梨蒼」は海の見える街に暮らしていた。
どうも、高梨蒼です。雑記ではお久しぶりです。
まぁ、座ってよ。楽にいこう。メキシコ・スタイルじゃないから。
今日は、傷と恥と、トラウマと、温かな家庭と、美人の妻と可愛い娘たちと、幻想と現創の話をする。
最近は、みなさんどうですか。ヴァーチャル、してますか?
Vtuber、完全に一大ジャンルになりましたよね。宇津木沙和さん とか 鈴原るるちゃん 、シスタークレア がお気に入りです。可愛いよね。癒やし系だし。にこにこしちゃう、YouTubeだけど。
それとも、もしかして、皆さんがバーチャル受肉してますか?
かわいい系?カッコいい系?
それが、あなたの、理想型?
理想を叶えてくれるって、素敵ですよね。
可愛くなりたい。格好よくありたい。
姿も、声も、名前も。すべて思うがままで。
そして、そういう理想が肯定される。チヤホヤされる。
最高ですよね。
現実、もう要りませんよね?
そんな幻想、理想に囚われて、
人格が「分裂」したり、現実から意識が「乖離」したりといったお話を、バーチャル美少女受肉の黎明から聴いていました。
きっと、昔からあったんでしょうけど。ネカマという文化自体が昔っからあるんだから。「受肉」と「声」という「明確な別の肉体イメージ」があることで加速したんだろうな。
原因はともかく、そういう事例があるんだってね。
現実より幻想が現実、って、ジョークやレトリックや、コンテンツ中毒とかじゃなく、「本当の意味で」ヴァーチャルが本物になる、って事例が。
胡蝶の夢。
ドッペルゲンガー。
本物は誰だ。
僕こと高梨蒼はそういう事例より数年前、似たような現象に向き合ったことがある。
今夜はその時の話をしようか。
高梨蒼のはじまりの話をしよう
便宜上、現実の方の自分を「俺」、幻想の方の自分を「僕」と呼称する。
その頃、俺は参っていた。就活だ。諸々の過去や、現在のせいで働くということについて向き合うことすら拒否していた。
働くことを忌避する原因の話は本題と一切関係ないから捨て置く。ちなみにこちらはまだ解決していない。
とにかく、完全に参っていた。世界に楽しみは数多あったけれど、それらを無理やり塗り潰すだけの闇もまたあった。要するに、月並みでありきたりなダメ学生だった。
そんな俺がある日冷蔵庫を開けると、そこにプリンが入っていた。
自分では買わないような、アラモードな上等なやつだ。
俺じゃない、少女の名前が書いてあった。拙い字で「あさき」と。
僕は、自然にそれを「朝咲のプリンだから食べちゃダメだな」と理解して、冷蔵庫にもどした。
そしてベッドに寝転んで、一呼吸置いて。
俺は――「俺」は、明確に「僕」と、僕の娘「朝咲(仮名)」を認識した。
(仮名)って初めて使うな。
詐病だと思った
最初はギャグだと思った。記憶を漁れば、確かに解った。
そのプリンは確かに「買った覚えはない」が、バイト先で期限切れになるものを貰ってきた覚えがある。
よくよく思い出せば、娘の――朝咲の名前を書いた覚えもある、気がする。
なんだ、ただのお遊びか。
そう思いたかったけど、朝咲のプリンを食べようと思えなかった。僕が、パパとして食べるなと言っていた。
これは、どういうことだ?
そんなぼんやりした状態で、当時常駐していた掲示板でネタにした。今思えばこれが後にも先にも類を見ない最悪手だった。
イマジナリドーターはたちまち狂人日記としてウけ、俺という匿名存在にキャラ付けが成り立ち、嗚呼、本当にアホらしいのだが、俺もそれに気をよくした。
承認欲求に飢えた怪物だったんだ。
今もまぁ、どちらかといえば怪物なんだけど。
あの頃は、就活で今以上に病んでたから。
たとえ匿名の、無責任な、面白半分どころか九分九厘の集団だとしても、承認欲求が、あるいは己の中の闇が、認められたことを喜んでしまったのだ。
詐病でも、本当の病気でもいい。
僕も朝咲も俺の中にいていいと、思ってしまった。
妻がいた。妹がいた。
もちろん、掲示板でネタをだすことなんてあの頃の俺にとってもオマケのオマケ以下だったことははっきり書いておく。
それはそれで、マジで幻想の娘を本気で愛した狂人ってことになるけど、僕にとっては血を分けた娘なんだ。仕方がないだろう。
朝咲は、咲くなんて静かな名前に似合わない活発で、きらきらぎらぎらした目をしていて、朝の字を体現する輝きを放つ小学四年生だった。
朝咲と僕の生活は、すぐに終わった。当然だ。「理想の娘」がいて、「理想の自分」がいるのなら、「理想の妻」がいないわけがなかった。「幻想」しないワケがなかった、というのが恐らく俺としては正しい表現だろう。
妻の名は、恵みの雨と書いて、恵雨(めぐむ)。包容力もあればお茶目な一面もある、可愛らしい美人だった。僕のひとつ下で、姉妹の真ん中。
言うまでもないことだが、俺にそんな女性はいない。俺の理想の女性像を象っている、のかもしれないが、俺にはわからない。僕が彼女を愛していたことは、わかる。俺にもわかる。
僕、恵雨、朝咲。幻想家族は暫く三人だったけれど、ある日、妹がもう一人ほしいと思った。一人っ子はさみしいなと、俺の幼少体験を基に、思ってしまった。
想えば、そこに、生まれる。
朔月(さつき)。小学一年生。元気だけど、お姉ちゃんほどぎらぎらはしていない、ぽわぽわした女の子。ママっ子で心配だったけれど、小学校でもお友達が出来て、安心だ。
高梨蒼の顕現。分裂の始まり。
そして、僕。最初は就活生の俺とぶれて重なるだけの人格だったけれど、恵雨、朝咲、朔月の大切な家族を持ってしまった以上、僕は俺を遥かに超越したスーパーマンにならないといけなかった。
僕はパパとして、それなりに年を重ねている。当然だ。俺の年齢(20)では、朝咲(10)どころか朔月(6)さえ無理である。恵雨(19)が母とか、輪をかけて無理だ。まず僕は俺を、手始めに年齢で超越した。たしか、34とか36とかだったか?
次に、職業。勿論就活生なんかじゃない。舞台脚本家、小説家だ。それも、その筆で家族を不自由なく養えるだけの、きちんとした作家。
理想型が、夢が――叶わない俺の夢が、「僕という現実」に仮託された。そう在りたい「高梨蒼」が、形になり始めた。
性格は穏やか。就活に苦しみ乱高下する俺とは真逆の姿。
そして、恵雨へ、朝咲へ、朔月へ、愛を。
そんな「俺の理想型」としての「僕」が出来上がるまで、そう時間はかからなかった。
完成、安息、共鳴、独立、侵食、結末。
そうして出来た僕は、僕として俺と別の存在だった。
遊戯王みたいな、「二人の存在」として別個にあるような感覚ではない。ビリー・ミリガンのように、気がついたら入れ替わっているということもない。
あくまで主体は俺で、日常は相変わらず脆い就活生だった。
けれど、ときどき娘が見えた。幻視した、といってもいいし、幻聴した、という気もする。末期には、買い物籠にお菓子を言れる姿も、反対側から僕の手を引く感触さえ、俺が感じられた。
それは、確かに狂気的だったけれど、心底ぼろぼろだった俺にとって、安らぎでもあった。朝咲の笑顔は眩く、朔月の優しさは心に沁みた。洗面所で泣く「高梨蒼」をそっと慰めてくれた恵雨にとって、高梨蒼は「僕」だったのだろうけれど、それでも「俺」は救われたんだ。鏡に映った人影は、涙を拭ったら消えてしまった。
そんな日常の中で、匿名掲示板で俺と同じように……本当に「同じ」かはともかく……家庭を幻想するものが現れた。
大半は冷やかすだけ冷やかしてすぐに消えたけれど、数人……数家族だけは、僕と長く付き合ってくれた。
彼らや、彼らの家族は、ここでは語らないておく。
俺としての、「これは『高梨蒼の過去』のnote行為である」という分別でもあり、僕としての、友人家族への尊重でもある。
ともかく、そんな数家族と一緒に過ごすうちに、世界が明確になっていった。気候風土、歴史に各家族の関係、エトセトラ。幻覚は解像度を増していった。
かつて、僕は海の見える街に暮らしていた。暮らしていた、ハズなんだ。
卓袱台を返すようで悪いけれど、俺にはもうその頃の実感がない。遺った記憶と感覚で「あそこは海が見えて、山が後背に鎮座する街だった」と説明はできるけれど、それを実感はできない。
だけどわかる。確かにあのころ、僕はあの海の街に暮らしてたはずなんだ。
就活が押し迫り、果たして就職し、心が暗く弱るほど、俺が僕に依存する程度は上がっていった。俺の理想型たる僕を空想することで、なんとか耐えていた。最後の一線を守り抜いていた。
幻想は、徐々に現実を侵食する。
何処にも掛かっていないスマホを耳に当て、繋がるはずのない電話をしながら帰ったことも、一度や二度じゃない。声が聞こえていたんだ。
プリンは常備…されなくとも、数度は名前が書かれて揃った。お菓子を朝咲と朔月の分だけ用意し、あるいはそうやって買い物カゴにいれたおやつを恵雨に叱られる。
時を重ね、朝咲が進級してよりお姉さんになれば、「いや、母ちゃんも買いすぎんなって言ってたし、いいよ」って、お菓子を求めなくなった。
「へぇ、立派だね」と虚空を撫でて微笑む僕を、俺は一歩後ろから幻視して、泣き笑いの十分の一の表情で棚を後にした。
俺は、最初から僕を認識していたけれど、その頃の……幻想を自覚して一年を超えたころには、俺は完全に僕に依存していた。完璧に夢を叶えて、最高の家庭を築いた僕は、それでもどこか俺の成分を含んでいて、俺は僕の世界を思うことで心を保っていた。
俺を監視する俺――超自我ってこういうのを指す言葉でいいんだっけ?――は、そうする俺を滑稽な無だと理解していたけれど、俺は、僕を、僕の家族を想うことをやめられなかったんだ。
そんな時期が、あったのだ。
一緒にイベントに行くような友達や、本物の家族の前ではおくびにも出さず、幻想の家庭を守っていたころが、幻想の家族に守られていたころが、あったのだ。
それから
別に、事件を起こしたりもしない。事故ったりもしていない。
フィクションのようなわかりやすい破滅なんて、していないんだ。期待外れの道化で申し訳ない。
ただ、月日を重ね、俺を取り巻く状況は移ろい、病む暇も幻視する余裕もなくなった。いつしか掲示板にも嫌気がさして、そこに顔を出すことも、幻想を披瀝することもなくなった。
「僕の家族」はいなくなっていた。
あるとき、ふと喪ったと気付いて、瞬間、哀しさと虚しさに苛まれたけれど、俺の肉体は僕の涙を流せなかった。
結局のところ。
正直な意見として、「ヴァーチャル人格が現実人格の拠り所になる」とか「そちらこそが本物だと思うようになる」こと、その病をあんまり忌避や否定は出来ないんですよね。
確かに文字面はヤバい。疑似人格、あるいは狐憑き、はたまた人格分裂。なんとでも言いようはある。実際、もともと「自己監視自己認識」とか「俯瞰」とか「アイデンティティ脆弱性」とか「役作り」とか「自己問答」のメンタルステータスを持ってる俺でもおかしかったのだから、「自分自身は自分自身である」とか思ってる人が直面したらかなり危険だろう。
(公開後追記)
いやマジで危険だからね!?本当に危険だぞ!!狙ってやるのは文字通り自殺行為!やめろ!!
けれど、「俺」が「家族」に救われたのは事実だ。
警告は大切だ。周知は怠ってはいけない。だけどそれは「酒を飲むと酔っぱらう」「タバコを吸うと呼吸器に負担がかかる」以上の温度にはなり得ない。前述と並べて、「多人格の併存は大変だ」というだけだ。
我々は新しい嗜好品を手に入れた。新しい救いへ到達した。この事実は曲げようがない。
そこにデメリットがあるならば、危険が内在するのなら、それを受け入れて、理解して、向き合わねばならない。
かつてその局面に至った俺と、そこから生まれた僕たちは、仮想による「後天的・意図的な多人格」を肯定・推奨しないけれど、否定もしない。
だからどうか、これを読んだ貴方も、「そういう人(たち)」に過剰な偏見を持たずに、心配をせずに、ありのままを受け止めてやってほしい。
現実人格も、理想人格も。同列には難しいかもしれないけど、上手いことどちらも認めてあげてほしい。
どこまでが現実で、どこからが幻想か、それは主観でしかないのだから。
ひとまず、ここまで。
おまけ
現実と幻想の混線経験を何とか活かして書いた短編。
「小説投稿サイトをテーマに使った短編」って縛りの賞レースでした。が、主題としては幻想と現実の競合と混線のお話になりました。
こちらも、よろしければ。
おまけのおまけ・ちゃんとした警句(公開後追記)
改めて言っておくと、今日ここでした話は「傷と恥と、トラウマと、温かな家庭と、美人の妻と可愛い娘たちと、幻想と現創の話」だ。
いいか?
「傷と恥と、トラウマと、妄想と、架空の存在たちと、幻想と現創の話」だ。美談なんかじゃ、絶対にない。
これを読んで、まさか真似ようなんて阿呆はいまいが、ちゃんと釘を刺しておくぞ。
仮想人格は、「狙って」やっちゃあいけない。死よりも苦しく生よりも無様な果てが、いずれ訪れる。
本当にどうしようもなくなって、何を謀るでも企むでもなく「そこにいた」のなら、否定はしないで受け止めるけれど。
肯定すると、推奨すると、一言も言ってないからな。
俺は、本文中でも挙げたようにメンタル系の特殊ステータスを複数枚持っていたから何とかなった。幻想がどうとか言ってられないレベルで、仕事を辞めてから病んで困窮していったから荒療治になった。生きて帰ってきたのは、そんな俺をして、偶然の噛み合いでしかなかった。
どうしようもなくなって、そこに救いを見出したのなら否定はしない。
けれど、まだ現実に少しでも残れうるのなら。それと「うまく付き合って」現実を生きましょうね。そのためのデメリット、リスク紹介してるみたいなところあるし。
どうか、リスクとリターン、メリットとデメリット、功と罪とうまく折り合いつけて、たのしいバーチャル&リアルライフを。
今度こそおしまい
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