【蒼雑記】好きなものを好きと言いたい・生きたい

昨日のの補足です。

……つまるところ、自分の中の「好き」を信じられないことが一番つらいんですよね。

あっどうも高梨蒼です。タカナシアオイです(脈絡がなさすぎる読み仮名紹介)。

昨日の(一昨日の)補足をば。

「誰かのファン」とか「この作品が好き」、「小説を書きたい」って心から湧き上がる明るい熱を、冷徹に「チケットがない」「金がない」「時間がない」「明日も仕事」って言って、諦めて、淡々と消火することが辛くなくなっていくことが哀しい。クラピカ風に言うなら「想いが風化する」というヤツか?

好きなことのために生きないなら、それこそ僕は(欠けた)歯車。好きとだけ言って、実際に読んだり聴いたり遊んだり行ったり書いたりを諦める口先だけ、はりぼての欲求。余りにも静かすぎて本当に好きなのか疑ってしまう。

そういう半端さ、熱のなさが辛くて、だけどそこで燃え上がれないのはさらにつらい。

これが大人になるってこと?
こうやって好きなものが好きだったものになっていくのが成長?
すきなものを捨てて嫌なものを優先するのが正しい人生?

執筆時間よりも睡眠時間を優先して、睡眠時間よりも勤務時間を優先する。働くために生きていくことになるのか?

そして、そんな不満に対して抗えないし、好きなモノに必死になって食らいつけない、決死の覚悟で飛び込めない、口先だけの生ぬるい問いかけで停滞してるのが自分というのが、たまらなく嫌なのだ。転職すればいいのに、新しい環境やら勤務体系やら、重箱の隅をつついて怯えている。白馬の王子さまも来なければ、シンデレラに偶然出会えるわけでもないのに。

好きなことから逃げちゃいけない。頭ではわかってるし、心でも求めている。逃げない人をたくさん見てる。本当に憧れる。けれど、できない。茨道を前に足が竦む自分が嫌だ。

好きを信じて好きに殉じて生きながら生きる衝動が欲しい。そういう強い光が欲しい。失敗を恐れない、失敗しても戦える勇気が欲しい。険しい道でも歩めると、自分の熱への信頼が欲しい。高すぎる理想と向き合える強さが欲しい。

好きの炎が揺らいだら、嫌いの闇があるだけの黄泉路なんだから。

ひとこと:ダジャレの解説ほどしんどいものはないとは言うけれど、ポエムの解説は結構楽しい。

……解説のはずが輪をかけてポエムだけど。

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