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おじさま集団に魅せられて、さすがトーハク、サタデーナイトフィーバー、そして深い学び

東京国立博物館 平成館の特別展「東福寺」へ会期終了のギリギリで行って参りました。
200点以上の展示に常設展示も合わせると、かなり見応えありました!

NHKジュニアガイドのチラシ

館内は一部を除き撮影不可だったので、NHKジュニアガイドから、画像をお借りします。

面白かった五百羅漢図

メインビジュアルにもなっている「五百羅漢図/吉山明兆」はポップな文章の解説が付いていて、面白いし、観ていてわかりやすかったです。
お釈迦様のお弟子さんたちである羅漢たちの様子を描いてある訳ですが、おじさま方の集団生活の様子を絵としてまじまじと観るというのは・・・面白いですね。クスっと笑えました。
展示の仕方もポップで、掛幅を飾っている壁面が黄緑で、まさにチラシに使われている黄緑や黄色で明るいイメージでした。
他の作品の展示の壁面もポップなところがありました。(確かカラフルな丸の壁面の中に作品が収められていた)


実際は作品の下に吹き出しのような解説が付いていました


白衣観音図 吉山明兆筆

吉山明兆さん、(略して吉兆さん?縁起の良い名前!)どの作品も絵が上手いなぁとしみじみ鑑賞しました。

二天王立像のポーズを掘り下げてみた


巨大な作品たち


スケールの大きい作品は見上げるので、ゆっくり見ると首が痛くなりそうでしたが。気になったのは二天王立像のポーズです。。

【重要文化財】二天王立像 阿形
吽形

阿形と吽形の比較


阿形と吽形のポージングを見比べると

[阿形]ビシッと決まっている、完全に止まっているフリーズ状態
[吽形]右腰(右手が添えられている)が少し入っている、左手をひねっている

ポージングの個人的な解説、伝わるでしょうか?2人は対のような、反転しているかのようなポーズに見えますが、私には微妙に2人が違って見えてしまって。
吽形の方が、少し巧みな動きをしているように見えるのですよね。胸の位置と腰の位置がよりずれているので、それはダンスで言うところのアイソレーションが出来ているということ。アイソレーションとは、「分離」「独立」などを意味していて、ダンスでは「ある特定の場所だけを動かせる」ということです。腰がより左右に動かせる人のポーズをしていると。
そして吽形の左手。握っている手の位置が顔と同じ方向(鑑賞者)を向いていませんよね。これは肘から上の部分にひねりを入れて、自分の耳の方向に向いています。
よって、阿形より吽形の方がダンサナブルなポーズに見えました。しかし、像は一瞬の動きを形にしているものだから、阿形がダンサナブルでなかったと決めつけることは出来ないとも思いました。と言いますのも、「あ」とクチを開けている状態と「うん」とクチを閉じている状態というのは違うもので、クチを開ける場合はクチ周辺にチカラを入れますよね。クチを閉じてる方がエネルギーをクチ以外のところにも注げるから、力強いポーズの中にも細かな動きを取り入れられるのかも?なんて思いました。

サタデーナイトフィーバー

長々と書きましたが、実は二天王立像を見た時に真っ先に頭に浮かんだのは映画「サタデーナイトフィーバー」の俳優ジョン・トラボルタのポーズだったのです。腰に手を当てていないけれど、阿形のポーズと似てませんか?

サタデーナイトフィーバー スペシャルコレクターズエディションより


阿形

自分のダンスの上手さ、ダンスに対する強さ、自信を象徴しているポーズだと思います。二天王立像は門を守護した巨像だということなので、門番としての力強さと自信を表現していますよね。
鎌倉と昭和。時代を経ても変わらないものがあるのだなぁ。(私の見解です)

二天王立像のポーズについては一緒に鑑賞した人は、「官能的なポーズしてる」と感想を述べていました。そういう見方もできるのですよね。
確かサタデーナイトフィーバーは、トラボルタ演じる主人公が女の子に一緒にダンスを踊ろうよ、と誘うような場面もあったはず。何はともあれ、鎌倉時代に作者さんがどうしてこのポーズにしたのかは、気になるところです。他の仁王像や金剛力士像などのポーズも興味深いのですよねぇ。

撮影可能だったパネルや作品

東福寺の紅葉をパネルにして展示していました


仏手 鎌倉〜南北朝時代 14世紀
仏手 別角度からも撮影
蓮弁 鎌倉〜南北朝時代 14世紀

仏手と蓮弁は、色が剥げているのでしょうか、それがとても素敵でワビサビを感じました。

学んだこと

東福寺展、第1章から第5章までありまして、第1章が「東福寺の創建と円爾」だったのですが、展示のスタートから私は学ぶことばかりでした。
<東福寺の名前の由来>
円爾さんが開山した「東福寺」は大寺と興寺にちなんで東福寺という名前になったそう。お寺の名前が他のお寺から頂いているというのは面白い発見でした。
<師弟関係>
円爾さんを描いた肖像画とか他のお坊さんを描いたものとか、像も多数あったのですが、師が死ぬ間際に最後の縁を結ぼうとしたとか、師が亡くなってから描いたとか、師弟関係濃ゆいなぁ、と思いました。と同時に、亡くなる間際とか、亡くなってからも故人を偲んで作品を作る行為はステキだなぁと。メモリアルですよね。自分もそんな風に誰かを偲んで作品を作れるか!?と問われると自信がないのですが、尊い行為だと思うので、学びとして活かせたらと思います。
<彫木柄払子>

払子の画像 曹洞宗近畿管区教化センターより


払子(ほっす)は元々は虫を払うものだったそうですが、煩悩を払う意味を持つ僧侶の法具(禅宗で威儀を整える)になったそうです。持ち手の柄の部分は彫刻されていたり柄が様々で、いくつか展示されていましたがどれも「美」でした。そういえば見たことあるかも?と思い、法具や仏具もそれぞれ意味がありそうだし美しいし、マニアックな世界ではあるけれど、そんな展覧会もあったりするので、今後行ってみたい領域になりました。
<遺偈>
高僧の臨終最期の書を「遺偈」というのだそうですが、もちろん人によって違いますよね。高僧ではないですが、私の人生の師であるmy祖父の絶筆を母から見せてもらったことがあったのを思い出しました。
遺偈は、やはり臨終とか弱っている状態で書いてあるものなので、字そのものは元気な時より下手なのですよね。書体が踊っているようにも見えて、アートとしては面白かったり。そして書いてある内容は素晴らしいのですよ。東福寺を開山した円爾さんの書をご紹介します。

仏道の真理を知ろうとしてもそれは仏も教祖も伝えず、 自ら体得するもの

円爾の遺偈の解説より 

深くないですか?長年修行したお坊さんの臨終の書がコレですよ。
結局は自分で体得するしかない、ってところにすごく惹きつけられました。行動あるのみ。経験、体験あるのみ。私は勇気をもらったのです。
人それぞれ人生があって、誰1人として同じ人生はないし、何かしら気づきであったり、悟りの境地は意識・無意識に関わらずあると思うのですよ。でもですよ、それを公にしているかは別で。ひっそりと臨終を迎えている人が大半で、後世に残るように表現している人って少ないと思うのですよね。だから私は表現している人が好きなのですが。
遺偈は全部で3点ほどありまして、どれも味わい深い作品でした。
これからも自信を持って、行動していこう、活動していこう、自らの目で色々なものを見て感じて、体験していこう、と強く思わずにはいられない展覧会でした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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