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無力なひかり

8月11日、輪湖さんの展示に行った。矢口渡という駅ではじめて降りた。

はやめに着いてギャラリーの外で待っていたら女性に「輪湖の展示ですか?今開けますね」と言われて、(輪湖さんのこと呼び捨てにするひとがいるんだ…)と思いながらありがたく中に入った。

輪湖さんの絵と文章はすごく温かく、寄り添ってくれるようだ。美しくて、見ているうちに自分の輪郭がはっきりしてくる感覚があった。

さっきの女性のスタッフさんに「来たことありますよね?」と言われて、「はじめてです」と言ったら「なんか…すごく来たことある気がする…」と言われてなんだか嬉しかった。わたしの知らないところに、光る記憶があるのかもしれない。

しばらくしたら輪湖さんが来て、はじめて会うことができた。ずっと輪湖さんの作品に救われてきたこと、直接会って感謝を伝えるまで生きると決めていたこと、気持ちを伝えていたら泣いていた。

輪湖さんはわたしの話をまっすぐ聞いてくれて、「ありがとう」と「嬉しい」と「よかった」をたくさん言葉にしてくれた。作品に時折霞む、ひんやりした美しさは輪湖さん本人からは感じられなかった。ひたすらに温かいやさしさがあって、そのどちらもを持ち合わせる輪湖さんはかっこいい。

輪湖さんのまわりだけ時間が進むのがゆっくりな気がした。高校生のわたしに、「生きるのやめないでくれてありがとう、輪湖さんに伝えられたよ、もう死ねるけど生きていこうって思えたよ」と言いたくなった。

特にすきな遺書が1つあった。それを伝えたときにもらった言葉が、人生の標になった。

「無力なひかり」という言葉は、無力なのに力があって素敵だ。自然な気持ちで、ひかりに手をかざせる人でありたい。まさにこの日はそういう日だったんじゃないかな。

これから抱きしめていくだろう言葉をたくさん受け取れた展示だった。過去も今も未来もすきになれないわたしが、未来を当たり前に想像できたことに感動した。

女性のスタッフさんが「蒲田駅まで行ってみたらどうですか?わたし知らない土地に来てすぐ帰るのさびしいからぶらぶらするんです。わたしはさびしい人だから。」と言ってくれた。初対面のわたしにそんなパーソナルなことをさらっと教えてくれて嬉しかった。

輪湖さんはお見送りをしてくれた。輪湖さんとそのときの自分の気持ちにすがるように、「また」を繰り返してしまった。

そのまま蒲田駅のほうに向かって、途中で見つけた神社でお参りをした。「生活を好きになれますように」と祈る。

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