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ヤクザと家族 鑑賞記録

2021年の映画を今さら更新。
約2年経っても最強の映画だったから。

掴みは綾野剛のルックス含めた漢のかっこよさ...強引に海連れて行かれたい、隣でタバコぷかぷかされたい、働いてるキャバのケツもちとして物騒に登場してほしい。

ストーリーは血縁の家族のない(なくなった)山本賢治(綾野剛)の、半グレとして生きた1999年、ヤクザとなり力も手に入れた2005年、服役後ガラッと変わった社会を目の当たりにした2019年の3つの時代を描いていくもの。

3時代の生き様を感じる演技、というか身体表情声色もう全てがすごい、すごいよ綾野剛。
山本賢治の20年間を2時間でたっぷり堪能できる。

盃を交わしたから家族になるのか、血が繋がっているからもともと家族なのか、過ごした時間の濃密さが家族になっていくのか
どれも正解でどれも正解ではない映画だった。

半グレでしかなかった賢治に人と人との繋がりを持って生きることを実感させたのはきっと盃を分けた彼らだったはずだし、
守りたいと思わせたのは過ごした時間のせいか、血のつながりのせいか
家族って怨念すぎる。好きでも嫌いでも、都合よくても悪くても、家族になったらどうしようもない念が入っちゃうから。

3つの時代、それぞれの家族の形がある賢治に、思いを寄せてしまう映画だった。
家族が好きな人ほど見てほしい。


私の家族は関係良好健康そのものなので、血縁という意味での家族の話しかリアルに想像がつかなかったのだけど、
もし、親という人が誰かの手でこの世からいなくなったら、その相手に並々ならぬ怨念を持つだろうな。自分の人生が破滅しても、取りたい仇があるかもなあ。
もしくは、自分のせいでうちの家族が壊れたら、どうしようか、謝って謝って、消えたくなるな、怨念すぎるよ、家族。

だから家族が社会的にどういう人かって関係ないんだよね。
ヤクザってだけで家族じゃないってなるのかな、家族じゃないですって嘘つかなきゃいけないのか、と思うと本当に苦しくなった。

賢治にとって、自分を拾ってくれた親分は、一生親で、その思いは本当の本当の家族そのものだったのでは、と思いながら2度目の映画も見てました。

結末までネタバレします。


本当の家族のために、そして愛した人のために、自分を責める思いもあったのだろうか。

最後は自分の手を汚すことを選んだ賢治だけど、(翼くん(磯村勇斗)もセーフだったね、でもちゃんとヤクザでも父親、家族のことで行動をうつしたのは、家族って怨念だなほんとに)
映画のラスト、あやちゃんが「お父さん」って呼んだの、家族になれたんだなって思いました。

だからこそイヤな連鎖が起こらないといいな。
家族って怨念だから。
父親を加藤(豊原功補)にやられた翼、“父”である柴咲(舘ひろし)を狙われ、弟みたいな大原(二ノ宮隆太郎)を加藤の組にやられた賢治、賢治を細野(市原隼人)にやられたあや(小宮山莉渚)。

自分で背負った、という言い方をするとものすごくエゴだなと思ってしまうけど、
父親のこと、柴咲組のこと、血縁の家族のこと、全部背負っていなくなった賢治の20年間の追悼が主題歌「FAMILIA」(millennium parade)に全部詰まってる。
全部詰まってるから、家族を大切に、イヤな連鎖が起きませんように。

お正月、お母さんのお雑煮食べたいな。
たぶん布団干してくれてるからめちゃめちゃ寝坊しまくりたいな。