アイリ

アイリの第一印象は「綺麗な子」だった。身長は160と少し、手足がすらっと伸びて大きな目。肩甲骨のあたりまで垂れた黒髪がつややかで、サラサラと風に揺れた。どういうきっかけで仲良くなったのか今ではあまり覚えていないけれど、彼女が視界に入るたびに静電気が走る感覚がして、ちょっぴり緊張する存在だった。確か掃除の時間に初めて話したような。都会的な見た目に反して強めの方言を使い、最初に「アイリは」と添えてから発言するのが彼女の癖だった。ろくに箒も動かさずに互いの軽い自己紹介をした後、「仲良くしてな」と差し伸べられた手が印象に残っている。アイリは頭がよくなかった。補欠で合格して入学できたとか英語以外はやりたくないとか、平然と言ってのけた。その宣言通り、数学の授業はいつも寝ていたし、先生に叱られる姿も何度か見かけた。人に合わせるのが面倒だからと愛想で笑うこともせず、自ら話しかけることもほぼない。彼女を避ける人も出始め、ふいに視線を向けると大抵一人でたたずんでいた。ミステリアスな彼女はクラスの中でも目立つようになり、6月頃には「関わらないほうがいい子」のレッテルを見事にゲットしていた。
女子高生には珍しく、私たちは8人のグループで仲が良かった。どこへ出掛けるにも大所帯で、誰かが誰かを嫌っているなんてことも特別なく、平和な日々を過ごしていた。お揃いのヘアクリップを買おうと言う話になって、わざわざ8色展開しているものを探し出したこともあった。その時もアイリは「黒がいい」と言ったっきり、皆の楽しそうな顔をそれぞれに覗き込んでいた。アイリのマイペースぶりには感心することも多々あったけれど、私たちは彼女が大好きだった。

アイリはとにかく口が悪い。死ねとか殺すとか残酷な言葉も簡単に使う。気に食わない男子には「生ゴミに顔突っ込んで窒息してまえ」とか、影でこそこそと話す女子には「本人の前で言えんなら針で口縫っとけ」とか、もう本当にひどいものだった。相手の立場や気持ちを一切考えずに口にする言葉は、研いだばかりの刀のようだった。こちらが注意しても「アイリはそう思わん」の一点張りで、聞く耳を持たない。そんな彼女の強さはクラスにも周知されていて、ますますアイリは孤立した。アイリと話すのは7人と、部活が一緒で他クラスの3人くらいで、それ以外はほとんど話したこともないはずだ。
ある日、グループの1人に彼氏ができた。幼馴染で気が知れた相手。中学の頃に一度付き合ったけれど別れて、この度復縁したとのことだった。だが数週間が経って、彼女は大きなため息をついていた。とにかく相手の態度が悪い。恋人である自分や彼の両親にはすごく紳士的で、「優しい」の言葉がぴったりの好青年なのに、彼が嫌いな人への対応はひどく冷酷だった。言葉を掛けられても無視。悪口陰口をぐちぐちと吐き、友人に同意を求めてくるそうだ。気が弱い彼女はそれがストレスのようで、けれど彼のことは好きで、とだんだん口をすぼませた。私たちはうんうんそうかあ、それは嫌やなあ、けど好きやもんなあと言葉を続けたが、アイリは違った。「そんなんクズやん。別れ」と、まっすぐに彼女を見て言い切った。友人はさらに目線を下に落とし、でも、私には優しいしなあと呟いたが、「あんなんブスやし付き合っとる意味ないわ」とアイリは言った。それを聞いた1人が「ふ」と思わず笑い、そこから笑いが伝染して、皆げらげらと笑った。顔は関係ないやんと涙を拭きながら弁明されると、「性格の悪さが顔に表れとるんよ」とけろっとした顔で言った。アイリの言葉はいつも鋭かったけれど、いつもユーモアがあった。確かに友人の彼氏はお世辞にも格好いいとは言えない顔立ちで、「まあギリセーフかな」くらいの容姿だった。けれどそんなこと指摘するものではないし、友人も了承したうえで付き合っていた。それを「冷たい態度が耐えられないから」でなく、「ブスだから」の理由で振らせようとしているアイリがめちゃくちゃに面白かった。友人もそうやね、確かに、ブスやなってよく思うもんとくすくす笑い、その二日後にはすっかり清々しい顔になっていた。

なかなか皆が言えないことを平気で言うアイリに、私たちは何度も救われた。模試でうまく点数が取れなかったときは「アイリは校内最下位取ったよ」と謎の激励をくれ、球技大会で惜しくも優勝を逃したときは「相手転べばいいのにってずっと思んよった」と頭を撫でてくれた。アイリと過ごす時間が長くなると、彼女は脅威の甘えん坊ぶりを発揮した。暇だという顔をしたかと思えば、唇をとんがらせてキスをせがむ。喜怒哀楽の表現が激しく、テンションの高低が3秒ごとに変わる。かと思いきや静かになって、「アイリが悪かったんかな」と膝を抱えた。廊下で出会えばハグをしてきて、胸を揉んだあと「大きくなったんちゃん!」と目を輝かせる。モノスゴイ下ネタをぶっこんできて、付き合いが濃いはずの7人をドン引きされたこともあった。が、毎度聞いているうちにこちらもかなり耐性ができてしまい、ついに私たち8人で話せない話題はなくなった。初めて会ったときの印象とはかなり変わり、アイリは本当に可愛い人だった。本人曰く、「人見知りやけん、緊張しとった」らしいが、好いた相手にはとことん甘えたいタイプのようだ。この天真爛漫さは少しずつ皆の知るところとなり、アイリを見放していた数学の先生は彼女のために個別で勉強を教えるようになった。相変わらずクラスの人たちは怖がっている様子だったけれど、アイリと一度悪口大会をすれば、きっと意気投合しただろう。優しい彼氏もできて、アイリは皆に愛されていた。
アイリは生粋のエゴイストだ。自分に利があることはするし、ないことはしない。相手がどうとか関係ない。自分が全てだ。だが、それが彼女の魅力だった。今でも私たちは連絡を取り合い、悪口大会を開催し、げらげらと笑いあっている。人を批判するのはよろしくないことだが、散々にぼやき続けると、気にしていたことも「まあいいか」と許せる余裕が生まれてくる。本来であればあまり口にできないマイナスの発言でも、彼女の前でならいくらでも言える。彼女自身も口が悪いし、他人への意見を聞いたところで関係ないとしているので全く動揺しない。他言することもないため、安心して日々の苦しみを吐露できるのだ。一般的に、アイリのような人間は忌み嫌われ避けられがちだが、果たしてそれは正しいのだろうか。一緒に悪者になってくれて、何時間も話を聞いてくれて、お揃いのものまで持ってくれる人がこの世界に何人いるだろう。見てくれだけを整え、心の内を明かせず、堪え続けている人が大勢いる。そんな中で、アイリのような真っすぐな人こそ、今の世の中に必要な存在だと私は思う。最初に「この人は苦手だ」と思えば、どうしても嫌なところばかり目に入りがちだが、よく見てみるとそれこそがその人の魅力かもしれない。誰もが動けないときに一石を投じられる、革命家かもしれない。

もう約数年ぶりくらいにアイリに会った。相変わらず無鉄砲さは健在で、スカートから伸びた足がとても綺麗だった。喫茶店を2件はしごして、4時間程度、惚気話を聞かされた。アイリの傍にいるとはこういうことなのだ。話の区切りができたので、ミルクティーを一口飲んだ。アイリがむふふと笑いだし、再び恋愛の話が始まった。

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