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愛すること。【#ルーヴル美術館展】

ルーヴル美術館展 愛を描く」を観てきた。「愛」をテーマにルーヴル美術館のコレクションからセレクトされ、展示されている。西洋絵画やローマ神話、ギリシア神話、宗教画に関心がある方は特に楽しめると思うので、ぜひ!


一番上の天使の企み顔が気になる…。


〜作品と感想〜
最初のほうに、ローマ・ギリシア神話の絵画が展示されていた。相手を無理やり連れ去ってしまう場面を描いたものが複数あった。絵画の解説には、相手を手に入れる戦略として男性は暴力を、女性は魔力や妖術を利用すると書かれていた。描かれた当時、どのような意図で描かれたのか、どのような気持ちで見られていたのか私はわからないけれど、乱暴な場面がとても美しく描かれていてゾッとしてしまった。

なかでも気になったのは、ディアナとエンデュミオンの絵画だ。ディアナは月と狩りの女神で、エンデュミオンは若い青年。二人は恋人同士だ。ディアナは、エンデュミオンが老いて美しさを失うことを憂えた。彼女に頼まれたゼウスは、エンデュミオンに永遠の若さとともに永遠の眠りを与えた。

このお話を知って、私は思いました。女神、ひどくないですか?? 神にとっての永遠の眠りは人の考えるものとは違うのだと思う。でも、永遠の眠りはイコール死ではないですか。愛ゆえのおこないだったとしても、なんという理不尽……。

そのあとに、キリスト教の宗教画が複数展示されているコーナーがあった。優しくて穏やかで神々しい、献身的な愛の世界だ。道徳的なものを感じるなあと思い、「宗教画」というワードを検索すると、宗教や信仰について人々に知ってもらうために聖書に基づいて描かれたものだという。聖書までいかずとも、教科書的なものということかしら。なるほどな~。

最後に撮影可のコーナーで撮った作品を。

人間のお姫様プシュケ(左)と愛の神アモル(右)。

帰ってきてから二人の物語をググったら、アモル(=キューピッド)が別の人を恋に落とすために矢を射ようとしたところプシュケに見惚れて、自分に矢がかすってしまいプシュケに恋しちゃったという大うっかり者とわかった。


地獄の風に吹かれている恋人同士の亡霊(左)と詩人たち(右)。

詩人のウェルギリウスが、同じく詩人のダンテに地獄を案内しているところなのだそう。亡霊の女性・フランチェスカは夫の弟・パオロと恋に落ちてしまい、二人とも夫に刺殺されてしまった。地獄でも抱き合っている二人を険しい顔で見る詩人たち。ドン引きしているように見えるのは私だけ?「地獄の案内」「地獄の風に吹かれる」というワードには厨二心をくすぐられちゃう!

ほかにもじっくり眺めて考えたい作品がたくさんありました! あまり出しすぎるのもいけないかなと思うので、このあたりで。

〜まとめ〜
愛が描かれた作品をたくさん観て、「愛って暴力的な一面もあるよね」と確認できたのがよかった。私は昨年、初めて推しができて、愛する喜びと同時にいろいろなファンがいることを知った。今、推し活がメディアでもてはやされているけれど、愛ゆえの行動が常にその対象のためになるとは限らないと思うような事案も見かける。

愛することも嫌うことも自分勝手な感情であることに変わりはないのに、愛の場合は勝手さに対して無自覚になってしまうことが多いような気がする。何かを愛すると、「愛する対象のためを思っての行動」をとりたくなるものだが、それは本来、「愛する対象のためを思っての行動をしたい自分のための行動」なのだと思う。

自分で書いていてよくわからなくなってきたけれど、つまり、自分の愛も暴力性をはらんでいることを自覚して生きたいと思うのだ。と同時に、絵画に描かれていたような、愛の激情に身を任せることへの憧憬もある。私は極力強い感情を隠して生きたいと思っているほうなのだけれど、結局、感情を隠しても、どんな行動をしても暴力になりうる。だから、激情に身を任せたってそう変わらないはずだ。頭ではわかっているけれど、きっとこれからもよく考えて、震えながら、自分の後悔が少ない選択をしていくしかないんだろうなと思う。


~余談~

ポストカードを買いました。

一番右のドヤ顔でヴァイオリン?を奏でる子がツボ。


誰も描かれていないけど、室内に人の気配を感じるな?と思って気になった作品。解説によると、履物の乱れ方や鍵が挿しっぱなしになっていることから、たいへんな勢いで室内へ向かい、何かに夢中になっているのではないか…とのことです。フーン……。

おわり

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