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信心は「強制」ではない

ハッキリ言いますね。
信心は「強制」でも「義務」でもありません。

「権利」です。

やってもいいし、やらなくてもいい。

活動がしんどいと感じた時。
違和感を感じたり、腑に落ちないことがある時。

「してもいいし、しなくてもいい」
を意識してください。

あなたが勝手に、
「しなければいけない」と決めているのです。

あなたが勝手に、
「やらないと幸せになれない」と設定しているのです。

折伏をしてもいいし、しなくてもいい。
会合に行ってもいいし、行かなくてもいい。
新聞啓蒙してもいいし、しなくてもいい。
選挙活動をしてもいいし、しなくてもいい。

しなかったら、幸せになれないですか?

考えてみてください。
世の中、学会員じゃない人はたくさんいます。
折伏も新聞啓蒙も、していませんよね。

「信心」は、したいからするのです。

人は、嫌々やったり、違和感を感じながら生きていくと、そのうち心が麻痺していくのです。
心が弱ると病気になるのです。

したくないことをし続けると、苦しみます。
そして「学会」のことが嫌いになって、退転するのです。

そうやって、心を壊したり、命を絶つような選択をするくらいなら、やらないで下さい。

退転を勧めているわけではありません。

いろいろな活動の仕方があると気づいてください。
いろいろな学会員さんがいます。

新聞をとっていない人。
公明党を応援していない人。
大きな会合は行かない人。
グループには参加してくれる人。
会合には来ないけど、家で題目をあげている人。

中には、
「魔に負けたんだね」とか、
「不幸になるよ」とか、
「役職は断ってはいけない」とか、
呪いをかける人がいます。

あなたの人生なんだから、あなたが決めていい。

私は、未活動の人にも、退転した人にも、
なんなら他宗教の人にも、

一度「南妙法蓮華経」に縁したのだから、
ご本尊様は見守ってくれています。だから大丈夫。
今はしっかり自分と向き合って、自分にお題目をあげる時だよって伝えたいです。

やってもいいし、やらなくてもいいんです。
あなたの人生なんだから、あなたが決めていい。
信心は「強制」ではありません。

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