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お金のこと⑨

祇園精舎を供養した須達長者の仏話は有名ですね。

信心深い須達長者が、食べ物に困るほど貧しかった時でも、托鉢に来た修行僧や釈尊に心からのご供養をして、インド第一の長者になり祇園精舎を造る大境涯になった話です。

修行僧や釈尊が、とても貧しかった須達長者に
「托鉢」に来たのには理由があります。

「托鉢」は、僧侶が自分の鉢を持って信者から食べ物を乞う修行ですが、この「托鉢」は裕福な家ではなく貧しい家に回ります。

仏教では、貧しさから抜け出すことができない人は、これまで他人に施しをしてこなかったからだと考えるからです。

「貧しさから逃れたければ、人のために惜しみなく与えなさい。施すからこそ、自分が豊かになれるのです。」

この教えから、托鉢をするときは貧しい人の家を回るのです。

そして、「布施」は「喜捨」とも言われています。
喜んで捨てる、つまり見返りを求めず、他人に何かを施すということです。
「惜しんだり、対価を求めるような卑しい執着」を捨てることに繋がります。

「惜しみなく人のために与えた人は、与えられる」

だから、修行僧たちが托鉢をしに行くのは、貧しい人々に「施しをするチャンス」を与えているのです。

海外では寄付文化があり、寄付や募金は子どもの時から当たり前のように行われています。

それは、「富を持つものが、貧しい人に分け与えるべき」という、キリスト教の教えが根底にあるからとも言われています。

聖書にも「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます」との一説がありますね。 

「与えれば与えられる」のです。

でも日本では、震災があったりとか、テレビで募金を募ったりしなければ、寄付はほとんどしませんよね。

だから「財務」は、「裕福になるためのチャンス」を与えてくれているのです。

「財務」は裕福になるためのシステムです。

それなら「財務」じゃなくても、どこかに寄付してもいいのでは?

そうです。
どこに寄付してもいいです。

あなたがどこに与えてもいい。
海外でも、震災先でも、動物でも、
真心込めて、喜んで、役に立ってくれたらいいな、
と心からの寄付をすることで、

善行が徳となって返ってきます。

与えられたければ、与えてください。
惜しんだり、見返りを求めないことが重要です。

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