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WE ARE VIRTUAL感想、あるいはミソシタの可愛さを語る(前編)

 ミソシタというvtuberの出したアルバム” WE ARE VIRTUAL” のレビューではあるものの、曲について詳細に書くのではなく、私が感じるミソシタという現象について書きます。そして、ミソシタと比較する上で、別の楽曲や文化についても追求します。
 ミソシタを知らない人はブラウザバックを推奨します。

1)ミソシタと人生どうでも飯田橋

 ミソシタのアルバム”WE ARE VIRTUAL”は、人生を自暴自棄に捨てきれなかった人たちの希望の歌だ。人生どうでも飯田橋。人生を捨てた人間ではなく、まだある人生を捨てきれずに希望をあるはずだと願っている人のための歌だ。 

 そこには、TVで歌う様な「努力すれば夢が叶う」などと言った世間一般的に信じられているような御伽話ではなく、自身が受けてきた報われなかった日々が赤裸々に語られることが必要なのだ。ミソシタの後悔に共感し、ミソシタが進んでる姿に希望を見出したいのだ。

 前作のアルバムの曲”LIFE IS DARK”をテキストマイニングにかけて、象徴的な言葉を見やすくしたのが上の図である。”闇”、”ダークサイド”、”革命”。いかにも厨二病で、ミソシタの詩的で真面目で可愛い部分が出ている。

 ミソシタはよく”闇”という言葉を使う。闇、ダーク、革命、覚醒が好きな厨二病ですごく可愛い。ただ、そこに虚無感や伽藍堂、希死念慮などの私が普段感じてる「人生どうでも飯田橋」を感じない。

 闇と言いつつ、希望を見ているのだ。変な話だが、闇とか革命とかを言っているミソシタの姿が、人生どうでも飯田橋な私には、すごく眩しく素敵に見える。ミソシタは人生捨てていないのだ。希望を持ってて未来を見ている。えらい、可愛い。

 そして、ミソシタを聞いていると、より深い虚無「人生どうでも飯田橋」を感じるグループを私は連想する。ミソシタと同じVirgin Babylon Recordsの属しているVMO(Violent Magic Orchestra)だ。VMOのコアなファンからは、強い「人生どうでも飯田橋」を感じる。

 持ってるものなんて何もない。裸一貫竹槍特攻。今死んでも良い。だからこそライブの瞬間が心地よい、生き甲斐だ。彼らの居場所はライブ会場のモッシュピット。とりあえず、下記のVMOのyoutubeを見て欲しい。

 この真っ暗闇でストロボフラッシュが飛び交う轟音の中、ゾンビのような人が死んだような顔をして、なぐりあったり、叫んだり、暴れてる世紀末。そして、その世紀末を楽しんでいる様子。自我を捨てて、本能に戻っている様子。これがVMO。人生どうでも飯田橋。殴られ、血塗れになることもある。私も肋骨と脚を痛めたことがある。そして、ライブが終わった瞬間訪れる一体感

 東京でのミソシタライブやミソパに行った人なら分かると思うけども、闇とか言ってるのにミソシタライブは優しい。下らない下ネタに笑い、人生相談に笑い、セルフを噛んでる姿に一喜一憂、応援してる。それとギャップが起きる形で、格好良い楽曲に歓声が湧き、希望が持てる。誰も傷つけない闇。コールドナイトメアで描いていた様に、ミソシタの闇は誰も傷つけたくなく、優しい世界。ミソシーは優しいし、可愛いし、ドジっ子。

2)ミソシタと共犯者「地下二階の同志たち」

 ミソシタを語る上で外せない言葉がある。「地下二階の同志たち」である。ミソシタは、ファンとの共犯関係をくすぐるのが上手い。アイコニックな単語を良く使う。”地下二階”、”ビデオボックス”、”個室ビデオ”、””、そして”同志”。

  Youtuber的な「リア充」、パリピ、ガチオタクなど幸せそうに上手く生活している人たちを、”あいつら”とする。そして、俺たちはあいつらじゃない「地下二階の同志」という明確な分類をした上で、”観衆じゃなくて同志だと信じてる”と言い切り、バーチャルで「アタラシイヘブンを作ろう」と背中を後押しする

 このファンとミソシタの強い共犯関係こと、ミソシタらしく言えるところだと思っている。ファンのことを名前をつけて、特別な関係を結ぶことは多いものの、明確に自分たちとは違う対立軸を作り、構造化させる関係性はミソシタぐらいじゃないかと思っている。(他にあったらゴメンなさい)

 先日、ミソシタと山田ケルベロスのくっそつまらないけども、面白い配信があった。まるで、友人の自宅でコタツに入ってビールを飲みながらポテチを摘み、友人と話しているかのような配信である。

 そして、改めて感じたものが、「地下二階の人たちは、何かしなくちゃいけないけどできていない薄い焦燥感があり、希望をすてきれずに、また、誰かと繋がっていたい気持ちがある」ということだ。そういったことをアイコニックな言葉にすると、ミソシタの言うところの”ガリガリ眼鏡童貞オタク”みたいな単語になるのかもしれない。


 そういった人たちに向けて、ミソシタの言う”綺麗で美しく誰も傷つけない闇”は希望なのだ。ミソシタは背中を押してくれて一番欲しい仲間でもある。一番渇望して手に入っていないものを、体現しているのだ。
 そう、だからこそ、”WE ARE VIRTUAL”なのだ。I AM VIRTUALではないのだ。決して、一人ではないとミソシタは言っている。

 またそういった”薄い焦燥感と希望、誰かと繋がっていたい気持ちがある人たちは、「地下二階の住民」の他にもいる。ヤンキー文化の中に多く存在する。それに対応して、ミソシタと違う形で救っているのが、今のHIPHOPジャンルだと思っている。でも、俺たちは「地下二階の住民」。ヤンキーたちとも違うのだ。

 蛇足だが、ミソシタpこと、BOOLさんはインタビューにて、アンダーグラウンドなHIPHOPであるTHA BLUE HERBのILL-BOSSTINOことBOSSの影響を受けていると答えている。聞いていて、ミソシタ曲の元ネタと言われる様なものを感じる。もし、こっちの分野に興味があれば、良ければ聞いてみて欲しい。

とりあえず、前編はここまで。後編にはVirgin Babylon Recordsとの関係性とか、アルバムの曲について、書くかと思います。

※ミソシタさん、ミソパの様子をYOUTUBEで公開したら、ミソパの参加者が増えると思います。よろしくお願いします。

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