見出し画像

2024年9月15日〜21日

9月15日(日)
 連休2日目。昨日、“ご自由にどうぞ”のコーナーから持ち帰ったティーカップにホットミルクチャイを淹れ、パンのお供に朝ごはんにした。

 毎年桃を業者のように取り寄せてる友人Sちゃんから「桃、お裾分けします!」と連絡をもらったので、軽く身支度をして駅に向かう。頭上には飛行機雲がたなびいていてきれい。

 駅前のカフェでSちゃんと落ち合って桃を受け取った。「もう少し涼しくなったらまた遊ぼうね」と軽く話をして解散した。はやく涼しくなってほしい。

 眠る前に幸田文「季節のかたみ」を読み終える。森まゆみさんの解説で「どのページも私にとっては最上の“実用書”である。」とあったが、わたしにとっても繰り返し読みたくなる一冊になった。めぐる四季を慈しむ心を育てていきたい。

別れの哀惜、終りの悲嘆に出逢ったとき、人はみがかれると思う。私たちの胸には、日常ああ思いこう思う、いわば情念のごみみたいなものが山と積っているが、別れや終りはそれを吹きはらってくれる、冷えた風のように私はおもう。痛みを伴うけれど、別れとは、いいものである。

p.87「ことしの別れ」より

 ここを読んだとき、人生の中で繰り返してきた出逢いと別れを、また、これから生きていく中で繰り返されるであろうそれを思った。
 痛みや傷は伴うけど、意味のない別れなどなかったなと思う。傷や痛みの数だけひとはつよくなって輝きを増すのだ と、そう信じたい。


9月16日(月)
 連休最終日。松濤美術館で開催されている展覧会「空の発見」を観に行く。移動時間に小池真理子「肉体のファンタジア」を読み始める。

 松濤美術館は建築物としての佇まいも好きなので久しぶりに来れて嬉しい。昨年10月、杉本博司の写真展を観に行った以来だ。

 「空」の表現の変遷を通じて、「空」に対する私たちの意識の揺らぎを辿っていく、という展示内容。なかなか面白かった。
 1番印象的だったのが高橋由一(1828-1894)「中州月夜の図」という油画。幻想的な光を放つ朧げな月、月以外の光源はない。黒々と浮かび上がる船に乗った3人のシルエット、水面に反射する月光。その静謐さにうっとりしてしまった。

 2時間ほどかけて展示を観てから道中のカフェに入って昼食。帰りの電車移動で「肉体のファンタジア」を読み終える。
 身体のあらゆる部位から想起される五感や記憶を綴った随筆集。小池さんの文章は官能的でエロチックだ。

 今日はお風呂セットを持って出かけていたので、最寄り駅から徒歩で銭湯に向かう。

 お湯に浸かってぼんやりしていたら、快活なおばちゃんに話しかけられ「(これが“裸の付き合い”というやつか…)」と思いながら、2時間近くも話し込んでいた。偶発的なものごとを楽しいと思える自分が残っていることに安心した。


9月17日(火)
 キッチンで昼食に持っていくカレーを温めていたら鈴虫がいた。やっと会えた…!茶漉しを虫網のようにして捕まえベランダから外へ逃す。

 村上春樹「スプートニクの恋人」を読み始めた。

 今日は中秋の名月。最寄り駅から家まで、大きな満月を立ち止まって眺めては歩きを繰り返しながら帰路に着く。濃紺の色紙に穴あけパンチをしたような月輪。すすき色に光っていてきれい。

 あらためて月見をするべく21時ごろ散歩に出た。コンビニでアイスと350ml缶の酒を買い、かけていた眼鏡を外しふらふらと歩く。
 信号機や街灯、自動車や自転車のライト、規則正しく並んだマンションの灯りたちが打ち上がったまま時が止まった花火のようにみえる。

 あらゆるものの解像度が低くなった視界に湯船に浸かった身体のように気持ちが緩む。普段もこれくらいの解像度で生きていけたらさぞかし生きやすいだろう…。


9月18日(水)
 昨晩、アラームをセットし忘れていて寝坊。急がないといけないのに道中に猫がいて思わず立ち止まって写真に収める。ねこ、かわいい。

 通勤は「スプートニクの恋人」の続きを読む。遅刻しそうなときにだけ使う路線は、乗り換えが少ないのでその分読書が捗る。遅刻も案外悪くない(そんなことはない)なと思う。

 帰り道はぱらぱらと雨が降っていて、遠くで空を切り裂くように稲妻が走っていた。天気の中でも遠雷がとても好き。

 家で先日Sちゃんから頂いた“黄ららのきわみ”という品種の黄桃を切って食べた。マンゴーのようなとろみと甘さがあっておいしかった。


9月19日(木)
 午後休を取って髪のメンテナンス。久しぶりに〈らい〉で昼食。喫煙可能の喫茶店は貴重でありがたい。

 7ヶ月ぶりに縮毛矯正をして髪がまっすぐで艶々になった。学生時代の同級生Mが美容師をしていて、彼に髪を切ってもらうようになってからかれこれ2年近くなる。いつもありがとう。

 美容室で「スプートニクの恋人」を読み終えた。帰りの電車で持ち歩いていた松田青子「お砂糖ひとさじで」を読み始める。明日労働を終えれば三連休だ。今日もなんとか生き抜いた。


9月20日(金)
 帰り道にすごく大きな月が出ていてびっくりした。写真に収めたかったのだけど肉眼で見た方がうつくしいにきまっているので、しばらく立ち尽くして眺めた。出来たてほかほかの蜜がたっぷりの焼き芋みたいな黄色だった。

 月を見るたびに思い出すひとがいて、見上げるたびに切ない気持ちになる。
 そのひとと知り合うまえのわたしは月を眺めながらどんなことをおもっていたのかもう思い出すことができない。

 自分の中で物事と記憶に感情を結びつけて意味をもたせすぎてしまう。
 これがやめられたらどんなに生きやすいんだろうなぁと思いつつ、すべて忘れられなくて忘れたくない記憶なので仕方がない。そういう性分なのであきらめてる。

 今日は気圧のせいもあって鬱っぽさが一段と酷く「わたしを…殺してくれ…!」と「すべて滅びちまえよ!!!」がせめぎ合っていた。

 もうやだ〜泣(;_;)


9月21日(土)
 朝、目玉焼きを食べて紅茶を淹れた。ふと平積みしていた本が目についてしまい、のろのろと整理をし始める。文庫本は背表紙の色順で並べた。いい加減本棚がほしいな…と思う。

 最寄りの喫茶店で「お砂糖ひとさじで」の続きを読む。最近紅茶を克服したので人生初喫茶店で紅茶を注文してみる。おいしい。
 はじめてのことをしたり、今まで苦手だったものを克服したとき「案外人生っておもしろいかも…!」と思えたりする。
 年齢を重ねることを"劣化”なんて言い方をしたりするけど、そんなことないよね〜って自分の周りの年上の友人を見ていても思う。

 ノープランで家を出てしまったが、X(旧Twitter)で歌人の木下龍也さんがJohn Danonさんの個展へ行ったポストをしており、気になったので吉祥寺へ移動。Googleマップを頼りに〈YUMENO GALLERY KICHIJOJI〉へ。

 犬がいっぱいで幸せな空間だった。グッズをいくつか購入。似顔絵も描いていただいてうれしい。

展示されている中でこの絵が1番好きだった
「cinema」という作品

 駅に戻るまでの道中で〈藤井書店〉へ寄る。たぶん2年くらい前に寄った以来だと思う。
 本(特に古本)は一期一会だ!と思っているので、気になる本を4冊購入。今朝本を整理したばかりなのにまた増やしてしまった…。(しかも最寄りの本屋でも2冊買っていた。)

 積読を増やすことは“生きる楽しみを増やしていくこと”だと思っている。本を買う口実。
 買った本をかならず読み切ろう!と思うとどんどん気が重くなるので、最終的に読めなかったとしても「まぁいいか〜」くらいの気持ちで積んでいく。程よくゆるく、人生をやっていく。

 明日は友人のSさんと会う予定。楽しみだ。


あとがき(?)というかメモ

 週次で日記をつけ始めて3週間が経った。三日坊主のわたしが、特に頑張っているとか無理してるという感覚もなく続けられている。

 どう書くのが正解なのかと模索しながら毎日つけている…たぶん、というか確実にかなり読みにくいだろう。とはいえ、正解なんてものはないのかもしれないとも思っている。
 今は文章の優劣は考えないで、自分が「書くことがたのしい」と思っているその気持ちを大切にしようと思う。

 書くこと、とってもたのしいね!(9月18日)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?