優しい文章を書きたいのに、書かせてくれない世界が大嫌い

優しい文章を書こう。

これはnoteを始める前から決めていたことだ。
クローズ就労やADHD、それから大好きで尊敬しているライターさんの言葉は総じて優しい。きっと世界を観る目が優しいのだと思うし、できるだけ良いところを見つけて文章を書くようにしているのだろうと思っている(勝手に)。

社会にちょっとだけ馴染めない、もしくは馴染もうとしている人間に、世界は総じて優しくない。生きていくことに「きつい、辛い、苦しい」が全くないなんてそんなことないはずで、だから私は優しく世界を書いてくれる人が好きだし、自分もそうありたい。

さて、クローズ就労の現状ですが10月末が終わりになることは書いたのだけど、周りの当たりがキツくなったのはしんどい。でもパフォーマンスが悪くて10月末でいなくなる人間に仕事を回せないというのも道理であるので、朝の段階で声をかけられる周りに単発で手伝えることはないか確認しつつ、なければ潔く「ないものは、ない!」と開き直って、あらためて自分に何ができるか、できないかの切り分けをしている。自分のスキルの再確認だ。

私はリスキリングという言葉がだいだいだいだいだいっっっっ嫌いな人間だ。仕事でやっていることは常に私にとって勉強なのに、終業後にさらに何かビジネスで役に立つ別のこと勉強しろとか「無茶苦茶言うなーーー!!!」と思う。人文知を学んだり、知らなかった分野のポッドキャストを聞いたり、読書や音楽や舞台を楽しむのはリスキリングじゃないらしい。仕事に役立たないので。

私は動作性IQがグレーゾーンなので、本当に本当に本当に手が遅い。なんとかしたくてピジョントレーニングを始めてみた。今、2週間目に入ったところ。効果が出ると良いんだけど。
ピジョントレーニングで私を取り巻く世界が優しくなって、そんな世界をnoteで発信できたら良いのだけど。

現時点で私にとって本当にこの世界は行き辛い。

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