星屑インターバル


こんな秋の夜に、名字も知らない彼に連れられて大学の最上階のベランダで、たいしたことない夜景に見惚れている。不覚にも見入ってしまって、十秒ほどの沈黙が続いた。わたしはいつだってヘラヘラするようにしている。だって、沈黙のなかでは秘密を見透かされてしまう気がするから。

「ねえ。
ここからあのビルの屋上へ、パルクールしたくならない?」

ロマンチックすぎてふざけてしまった。
沈黙を破るために。

10月の夜は冷え込み、鉄製の手すりはひんやりしている。横にいる彼の温度が風を通して伝わってくる。
これが、決して触れ合わないふたりの二回目のデートである。
一回目のデートでは、商店街のはずれの喫茶店でお茶をした。
わたしはアイスコーヒー、彼はクリームソーダを頼んで探り探りで平均台を渡るような会話をつづけた。
今日は夕方に待ち合わせをして、定食屋で夕飯を食べてから彼が通う大学まで歩いてきた。
そして今、ふたりで夜景を見ている。

日本の夜景は見れば見るほど愛おしくなる。
こういうのを趣と呼ぶのか。
二年ぶりに日本に帰国したばかりの私は、小さなことに感動してばかりいる。不規則に並んで光る町の灯りがあんまりにも愛おしくて、不覚にも思い耽ってしまいそうになる。

「飽きないの?」

「うん」

「見れば見るほど引き込まれる?」

「うん、見れば見るほど自分の考えに沈んでいく、のが正しいかもしれないけど」

「そうか」

「実はぜんぶ二重に見えてる。ひどい乱視で」

一瞬、空気が重くなる予感がした。
深刻ぶった女にはならまいと即座に抜けたことを言った。

「ええ!」

彼はお腹を抱えて笑い出した。

そうして笑顔でこう言った。

「あはは、きみは本当におもしろい」

夜景に飽きた私たちは、コンビニでお酒を一缶ずつ買ってホームセンターの屋上駐車場へ向かった。そこで駐車ブロックにどかっと腰を下ろし、静かに乾杯をした。夜風があんまりにも心地よかったので、わたしたちは結局コンクリートの地面に並んで寝そべった。
名字すら知らない彼とは、指一本触れ合ったことがなく、その距離感が元恋人とのことで傷心しているわたしには心地がよかった。
わたしは安心していた。
横に並んで寝転がる男女が、こんなに安心していられるのもおかしな話だ。

「流れ星だ!」

そんな彼の声に続いてわたしも叫んだ。

「見えた!星って動くの?!」

あんまりにも衝撃的だった。星が動いたことが。

生まれて初めて流れ星を見た。

「あの距離を流れたなら、お願いごと三回言えたね」

「言えた言えた言えた!」

興奮した自分が、願い事でもないどうでもいい言葉を三回繰り返してしまったのがおかしくて自分で笑ってしまった。
私は誰といてもケラケラ楽しめる自信がある。その誰かが無害である限り。
彼の隣にいるわたしはほんの少しだけ、いつにもましてケラケラしている気がした。あっけらかんとした彼の態度に安心していたし、わたしのことを深いところで捉えない彼との浅い夜に癒されながら、もう次のデートはデートと呼べないだろうことを確信していた。

別れ際はすごくぎこちなかった。
だって、お互いが別の国ではハグをする挨拶に慣れていたのだということが体中から漂っていたから。
ぎこちない数秒のあと、私たちは肌で触れ合うことなく「またね」とだけ言い合った。
外国に一年以上滞在していた私たちのことだから、ハグをしたり、手をパチンと叩いたり、フレンドリーなお別れをしてもおかしくはない空気が一瞬流れたが、そこで距離を保つ選択をしたのにはそれなりの意味があったと思う。こういうのはすごく日本的で痺れる。触れないことに、ここまでくすぐったい意図を感じさせる彼のやさしさや日本人らしい奥手な姿勢にすこしだけ温かい気持ちになる。生まれて初めて見た流れ星が、この夜にむやみな神妙さを与えてしまっても構わない。

永い恋を失って、寂しい夜に流れたあの星のきらめきは私を励ましているに違いなかった。
三年間一番近くにいた元恋人はもう、私なんかよりもちゃんと寂しそうな目をする女と暮らしている。
あの瞬間、流れ星に飛び乗って、夜空の浅瀬で水でも浴びてシャキッとすればよかった。
後出しでとっさに願ったことは、私とまわりの人の幸せだった。そこにはなんと、三年を共に過ごした彼も、隣にいる名字も知らない彼も含まれている。あの星は今頃ため息をついてるだろう。

人生は、結局かっこよく自分勝手に生きたもんがちで、周りにいるそういう人をいかにかっこよく許していけるかというところだ。
私は散々わがままに生きてきたから、今度はまわりの自分勝手な変化を許していく番だ。許すことを試されている。やってやろうじゃないか。こんなふうに私はかっこつけて悲しみを許しながら、これからも自分勝手に生きていくだろう。ほら、こんな調子だから無敵なんだ。私が味方につけるべき人たちは、もうすでに私の味方でいる。

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