二年ののち
日本を出国してから2年。
いろんなものを失った気がする。
失ったのだと思う。
でもその喪失感や悲しみをかき集めても文句ひとつすら言えないほど、とても豊かな2年だった。
文句ひとつすら言えない。弱音ひとつすら言ってやらない。
モントリオールで過ごした日々は美しくて儚くて、汚らわしくて悲惨でとにかく愛おしい。
これは、外国でその日暮らしで生きた人にしかわからない感覚なのだと思う。
ああ、2年ほど前めちゃくちゃ愛していた人たちは、わたしのいない日本を一度くらい退屈に感じてくれただろうか。
わたしはいずれ、デオドラントや香水ではどうにもできない部分で香る 外国のにおい をまとって帰国する。それは実家で数週間、母の手作り料理を食べて湯船につかればそのうち消えるだろうけれど、そういう隠すことのできない小さな変化をまとった私にがっかりする人がいるかな。
大学生になったら絶対に外国に住むと決めた17歳。
あの頃の脆弱すぎた心を、何枚ものオブラートで包むようにしてやり過ごしてきた外国での生活。
たくましくなるって、鈍くなることなのかもしれない。それでも鈍いままで生きてきた人間とは違う。
これでもかってほど脆弱になってしまえたからこそ、美しくたくましくなれるよ。脆弱さとたくましさ、繊細さと鈍感さをうまく調節できるようになったら、もう怖いものはないの!死んでしまうまでずっと、棺の中でも火葬炉のなかでもチャーミングでいたい。
2年ぶりの日本。
両親の車は2台とも新車になり、まだ一歳の暴れん坊だった愛犬は落ち着いた成犬になってしまった。おそらく近所には知らない新築の家がぼこぼこ増えていて、それを目にしたら圧倒されてしまって、なんとなく気持ち悪く感じるだろう。
おじいちゃんは弱ったからだで入院中、おそらく母の顔にはしわが増えていて、おばあちゃんはもうこの世にいない。わたしは悲しくなるだろう。それでも、日本ですべてを目の当たりにできることが楽しみで仕方ないのだ。幸せだよ。おばあちゃんが死んでしまった実感もないまま、わたしだけ外国で数ヶ月を過ごしてきた。みんなに会えるということ、幸せなことはもちろんだけど悲しいことすら目の当たりにできるということが嬉しいんだ。フランソワーズサガンが書いた「悲しみよ、こんにちは」近々読みかえそうと思う。
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